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[第2部 復興](13)

自分達で結論を出さなくてはならない問題なんだ


翌朝は晴れていた。理事と、我々発起人は、午前11:00に会場の市立勤労会館の控え室に集合し、最終打ち合わせをすることになっていた。いままでほとんど集会には顔を出さなかった妻も、「今日は見届けるわよ」と珍しく張り切っていた。僕はトーストと目玉焼きの朝食をとり、紅茶を飲みながら会場に持ち込む書類を整理してカバンに詰め、自転車に乗ってマンションを出た。かつて復員兵のような顔をした無数の避難者たちが往来した国道2号線は、いまはごく普通の幹線道路に戻っている。ここを、まっすぐ東へ向かってペダルを漕いでいると、背後からクラクションが鳴り響き、振り向くと日産のJフェリーがその勇姿をみせた。中島さんだ。「お先に!」と明るい表情を向け、僕を追い越していった。もうしばらく自転車で走り続けると楠の巨木の向こうに市役所や市民ホールが現れ、そこからさらに細い路地に入って住宅地をくぐり抜けると、「西宮市立勤労会館」という古ぼけた立て札が鉄の門の脇に付設されているのが目に入る。自転車を留めて控え室に入ると、もうほとんどの理事が集合していた。
10:50。
「早いですね、」と出原氏に声をかけたが、この男は相変わらず、ぶっちょうヅラで僕の声を無視し、隣の理事と話し込んでいる。本当にこの男が柴山さんを説得したのか?とちょっと不安になる。
「いやあ三島さん、いよいよですな」と皆川さんが僕の肩をぽんと叩いた。濃紺のスーツにストライプのネクタイを締め、会社の役員会議に出席しそうなおもむきだ。
「皆川さん、実は・・・」と昨日の矢車さんとの電話の顛末を話すと、すっと顔を曇らせ
「本当に?そんなはずはないんだが・・でももしあいつが本当にそう言ったんなら、もう縁切りだな。」すると隣で聞いていた瀬戸さんがこっちをみて
「三島さん、もうよそう。ここまで来たんや。ベストを尽くそうよ」と言ってくれる。
「そうですね」と少し気持ちが楽になる。
11:00。
すべての理事と、発起人(僕、賀来さん、長部さん)が集合する。が、B・C棟の代表、田代さんだけがまだ来ない。
「またヨットに乗ってるのかな」「まさかね」と理事の間でささやきがおこる。
「えー、11:00になったんで、最後の打ち合わせを始めます」と瀬戸理事長が口火を切る。最初にこの日の進行が確認され、次に会場から出てくると予想される質問への対処が検討された。「臨時総会開催のお知らせ」がマンション各棟の掲示板に一斉に貼り出されて以来、理事会には山のような投書や電話が来たらしい。いわく、
◉理事会は、提案を白紙撤回し、復興の業務からいっさい手を引く、と宣言したのに、なぜ、いまになって臨時総会を開くのか?◉前と同じ提案をもう一度審議するなど、無意味だ。前と同じ結果になったらどうするか?単なる繰り返しではないか?◉理事会は事前に反対者に裏工作していると聞いている。許せない行為だ。そんな理事会は即刻解散、理事長は辞任せよ!◉最近、反対者への誘導や、嫌がらせが横行している。このような状況を理事会は知っているのか?
「相変わらず、元気ですな」と賀来さんが煙草をくゆらしながら言う。隣の長部さんが
「いままではこういうのに振り回されとったが、今日はわしら、黙ってませんで。きちっと言うこといわせてもらいます」
「頼みますよ」と皆川さん。僕が手を上げた。
「理事長、1つ質問していいですか?」瀬戸さんがこっちをみた。「いいよ」
「今日の総会で、もし賛成が、前回と同じく3/4を超えられなかった場合、どうしますか?」瀬戸さんはちょっと顔をこわばらせた。控え室が静かになった。みな、理事長を見ていた。瀬戸さんが話し出した。
「僕は、その時はこの総会を終わらせずに、とことん議論しようと思っている。夕方6時になろうが、7時になろうが、誰も帰らせへん・・だいたいこれは理事会の問題じゃない。今日集まってくる200人の人達自身の問題だ。自分達で結論を出さなくてはならない問題なんだ。だから、僕は壇上からそう宣言する。皆さん、とことんやりましょう。結論が出るまでとことん話し合いましょう。それしかないんじゃないかな」
「賛成」と賀来さんが言った。
「私もそう思います」と皆川さんがうなづいた。
「ふん」と出原氏があごを撫でた。他の理事達も異論はなさそうだった。もちろん僕も同じ気持ちだ。
 
打ち合わせが終わると、地下の食堂でうどんやカレーライスの簡単な昼食をとり、しばらく休憩した。会場の入り口には理事達によって受け付けの机と「西宮セントラルハイツ・臨時総会」と書かれた案内板がセットされ、
12:30には受け付け係の理事が着席し、棟別の出欠表を机上に並べて住民の来場を待った。管理人が僕のところへ来て
「今日はいけそうでっか?」と訊ねた。
「いや、まったくわかりませんね」僕はそう返事しながら、田代さんがやってこないことが気になっていた。発起人代表が欠席されては困ったことになる。
12:40。
施工会社の「定岡組」営業部長、到着。マンション管理会社の常務、あわただしく到着。顧問の恵比須弁護士、黒いアタッシュケースを持って到着。
午後1:00を過ぎて、住民も少しずつ来場しはじめる。ホールの300ほどの席がポツポツと埋まっていく。我々発起人は、壇上にいる理事長からの呼び掛けに応じて会場から壇上にあがる手筈になっている。瀬戸、皆川、出原の3役と恵比須弁護士はすでに壇上に着席していた。僕は会場と受付の間をうろうろしていると、妻が外から入ってくる。
「準備できた?」
「田代さんがまだなんだ」
「へえ、そうなの」その後ろにすらりとした長身の中年男性がいて、首から双眼鏡をぶらさげている。
「三島さん、がんばってくださいよ、私、会場からしっかり見させてもらいますから」と双眼鏡を指差す。
「はいどうも」と返事するが、どこの誰だかわからない。
1:25。
開催5分前になって、ようやく田代さんが飛び込んでくる。
「いやー、すまんすまん、わしのハンコがどっかいってしもうてなあ。どっかで買おうとあちこち探したんやけど、今日は祝日で、近所の店が全部閉まってて。クルマ飛ばしまくってやっとさっき見つけたんや」僕はあきれてしまった。
「田代さん、今日はハンコは要らんねん」「へ?」
「もう難儀な人やな。今日は身一つで座っといてもらったらいいのに」「さよか」と二人で会場に入ろうとした時、
「三島はん、大変や」と池谷さんが僕の腕をつかんだ。
「え?」
「4Fの高砂(たかさご)のおばあちゃん、まだ来とらんねん」
「高砂さん?」
「ああ、E棟の住人や。大山はんの隣に住んどる、気になってさっき電話したんや、そうしたら総会の開催日を1週間間違えて、来週やと勘違いしてたんや」
「そりゃ大変だ」
「あのおばあちゃん、すっかり慌ててもうて、さっきから資料がみつからへん、言うとる。なんせ70越しとるからなあ」そこへ管理人が来た。
「まかせとけ。わしが引っ張ってきたる。もうE棟は1票も失うわけにいかんやろ、なあ三島さん」
「そうです。お願いします!」
「ほれ、もう始まるで、早う中に入って」と促されて会場を覗き込むと、かつてない数の人々でホールはいつの間にか、びっしりと埋め尽くされていた。


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