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[第1部 被災](18)

E棟が、あぶない


1997年1月〜3月にかけて、「西宮セントラルハイツ」全住戸を対象にしたヒアリング調査が行われた。ヒアリング調査というのは、理事会が依頼した弁護士チームが2人1組で各戸を訪問し、
・被災の程度はどのくらいか。
・いま、どういう不自由があるか。何に困っているか。
・建替えの場合、修復の場合、それぞれ資金はどうやって調達するか。
・最終的に、建替え、修復、どちらに賛成するか。
といったことを訊ねて回ることだった。235世帯中11世帯が不参加だったが(日時が合わなかったところ以外に、拒否したところもあったようだ)、大部分の世帯からデータが得られた。
ヒアリングチームは僕の家にも来た。1人は弁護士、もう1人は不動産鑑定士だった。僕と妻で応対した。僕は、
・自分は資金的には建替え、修復どちらにも対応できる。
・理事をやっていた経験から、建替えで合意形成を図るのは難しい。従ってどちらかといえば、いまは修復に賛成である。
・専有部分(家の中)にも、壁のひびわれ、便器の破損、床のキズ、といった被害があるが、修復額はたいしたものではない。
というようなことを述べた。弁護士の方は
「いやあ、三島さんのような方ばかりだと助かるんですけどねえ」と出したお茶をすすりながら言った。
「というと?」
「このマンション、かなりの割合で“なにがなんでも建替え”とか、“資金がなくて、修復でないと無理”といった人がいます」
「そういう人が多いからどっちにもまとまらないんですよ」
「そうですね。建替えにしろ、修復にしろ、ゆくゆくは全員合意に持っていかないとね。でないと後が大変でしょう」
ところで…と僕もお茶をすすりながら、鑑定士の方に、この際訊ねてみたかったことを口にしてみた。
「お立場からは、おっしゃりにくいかと思いますが、この家、修復して売ったら、どのくらいになりますか?」
「そうですねえ・・」
「去年、駅前の不動産屋に訊ねたら、2800万くらいじゃないかと。土地付きで」
「ああ、そんなもんでしょう。いわゆる市場価格で聞こえてくるのは、ね」
「買ったときは3900万だったんですけどね。3年前」と僕。
「ここ数年土地が下がってきてますからね。それと、修復してもまあ“キズもの”ですからね、実際のところ」
「じゃあ1100万の損。それに修復費が400万として1500万」
「そんなもんだと思いますよ」
「建替えの場合はどうなるかな?」
「建替えの負担金は1戸あたり2200万くらいでしょう。一方、新築だから、この辺りだと資産価値はざっと5000万まで回復する」
「僕の場合、3900万で購入してるから、そこだけみると1100万の上乗せだ」
「しかし建替えに2200万払っているから結局1100万の損ですね。それと建て替え中の2年間の転居暮し」
「そこが盲点だな。家賃が1ヵ月15万円として1年で180万。2年で360万。これを足すと、1460万。えーと修復だといくらだったっけ?」
「1500万ですよ。変わりませんね。それに新築が5000万というのは、今現在の話。2年後は・・」
と鑑定士は遠くをみるような目をする。
「落ちますか?」
「多分。4000万くらいには確実に」
「じゃあ建替えは損じゃない?転居しなきゃいけない、その手間や引っ越し代もあるし」
「冷静に見て、そう思いますけどね、これは私個人の感想ですが。建替えに熱心な人達のお考えは正直、よくわからんですよ。ただ、修復の場合は、専有部分の修復が個人負担になる。玄関や壁、天井、床の破損です。これが多い人で1000万」
「ああ、それは大変だ」
「ない人はゼロですからね。この差は大きいですよ」
「確かに」
「だからちょっと根本的に難しいケースです。ここは」
 
3月末には、このヒアリング調査のレポートが各戸に送られてきた。訪問チームの人が語っていた通り、「建替え希望者」「修復希望者」の数はどちらも50名程度でほぼ同じ、また「どちらでもOK」と言う人も50名くらい、さらに「経済的理由から(物理的に)修復事業しか参加できない」人がこれまた50名くらいいた。この最後の50名は、建替え事業を進めるには致命的な数字だったが、住民がみなそう思って建替えを断念しない限り、マンションはいつまでたっても放置される運命にある。
またこのレポートで、理事会は「段階的合意形成案」というのを発表していた。これは、住民の合意形成のプロセスを2段階に分け、【第1段階】では「最低限の修復を1年以内に行う」とし、【第2段階】では新たに「復興委員会」を設けて、建替えも視野に入れ、5年〜10年後のマンションの展望を示す、という内容だった。つまり、とにかくまず修復をして、住めなくなっている70世帯を呼び戻し、そのあとじっくり再建に取り組みましょう、というものだった。

「ま、マヤカシやわな」
「マヤカシ?」と初夏の日射しのなかで僕は池谷さんに訊いた。駅前に用事があってマンションから歩いていると、「三島はん」と後ろからシビックがやってきて助手席に乗せてもらったのだった。
「つまり、復興委員会なんか作らないってこと?」と隣の池谷さんに訊く。
「そら知らんけどな。棟別の説明会でも建替え派がうるさいよって、まああんたらの言い分も聞いたるわ、いうて理事会も妥協しとるんや」
「ふうん、で今度の総会で、その“段階的合意形成案”を通す、と」
「ちょっと難しいな」
「そうなんですか?」
「理事会は自分でハードルをあげよった。過半数やのうて、3/4の賛成で通すと」
「過半数じゃ、駄目なんですか?」
「修復する過程で、どうしても前と違う仕様になる箇所が出てくる。補強もこの際やっておきたい。そうすると、区分所有法では3/4の議決が必要になる」
「3/4とれるかな?」
「E棟が、あぶない」
「うちが?」
「そう、悪い奴らが固まっとる」と池谷さんは苦笑いをする。
「須崎、佐野、石松。この3人はあのニュースインナイトで勝手に演説してた連中や。それに佐野の息がかかってる連中がE棟の2階に4〜5人おる」
「へえ、うちのすぐ下に」
「ま、瀬戸さんもがんばっとるさかい、なんとかなるやろ」と言いながら池谷さんは車を駅前のバスターミナルにすべりこませてくれた。ドアを閉める音。シビックの後ろ姿。入道雲。

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