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[第2部 復興](7)

帰りの阪急電車


8月の下旬、僕の会社に中島さんから電話が入った。
「瀬戸理事長がね、三島さんと話したい、って。3人で会おうか、って」
「いいですよ。どこで待ち合わせます?」
「新阪急ホテルのロビーにしましょう。あそこは喫茶もできるから」そうですね、と電話を切った。
その夜7:00に待ち合わせのロビーに行くと、「三島さん、ここ、ここ」と僕を呼ぶ声がする。観葉植物の横にあるテーブルに中島さんと理事長の瀬戸さんがいた。
中島さんは律儀な背広姿(僕と同じだ)、瀬戸さんはノータイのカジュアルな服装だ。椅子の下に大きな革製の鞄が見える。多分図面がぎっしり詰まっているのだろう。僕は瀬戸さんの向かいに腰掛けた。
「久しぶりですね、どうですか?お仕事は。」
「もう全然。不況のど真ん中。バブルのときはよかったけど、いまはさっぱりだよ」
瀬戸さんは10年ほど前から梅田に建築設計の事務所を開設している。
「でも、震災のおかげで一気に住宅需要が増えたんじゃないですか?」
「増えたよ、確かに。でも全部、大手に奪われた。◯◯ハウスとか、××工務店とかに」
「瀬戸さんの事務所には回ってこない?」
「来ない来ない。知ってる?あの震災当日、◯◯ハウスの営業マンが被災地域を営業して回ったって」
「へえ。自分のとこも被害にあってるのに?」
「ビジネスチャンスだからね。こっちは仕事がなくて、バブルのときは5人いた従業員がいまは2人」
「リストラだ」
「そう、リストラ。そのうち僕もリストラされるんじゃないかな」と苦笑する。
注文を聞きに来たウェイターにアイスコーヒーを頼むと、瀬戸さんが僕に質問した。
「いま、どんな状況?だいたい中島さんからは聞いているけど」
「この間、各棟の代表者の方に集まってもらいました。最初はE棟集会だけしようと考えていたんですが、やっぱりもう一度全体総会を開くほうがいいのかな、と考え直しました。いま、どんどん署名が集まってます。8月中にはすべて完了します。そのあと、それを理事会に提出します」
「それで?」
「1/5の署名が集まれば、区分所有法では、理事会に総会を開くよう要請することができますよね?」
「そこなんだよ。問題は」と瀬戸さんが重い口調で言った。
「えっ?」と僕は2人の顔をみた。中島さんはやや視線を落している。
「確かにその場合、君たち代表は、理事会に総会を召集するよう、要求することが出来る。しかしもし理事会がこれを断われば、今度は君たちが主体となって、総会を召集することもできるんだ。法律はそういう趣旨になってるんだ。三島さん、わかるかい?」
「ええ、わかりますよ」
「で、どうする?」
「僕は、自分ではやりません」
「そうか・・」
「瀬戸さん、僕はこの運動をしようと思ったときに、最初に決めたんです。これはあくまでいまの理事会にもう一度やってもらう、そのバトンを手渡すためにやるんだと。理事会がバトンを受けてくれなかったら、これは終りです。あとはやり手がいない。今の理事会は恐らく最強のメンバーが集まっています。これでだめなら、もう駄目でしょう。だから我々はあくまで中継ぎ、リリーフです。そして来年もう1年、いまの理事会にやっていただきたい。この間の総会で、最初にそう宣言されたじゃないですか」
「・・・」
「瀬戸さん、しないんですか?」
「いや、僕はやるつもりだ。だが、他の理事がなんて言うか」
隣で聞いていた中島さんが
「瀬戸さん、大丈夫ですよ。三島さんたちが署名を持ってきてくれたら、理事もみんな変わります。三島さん、今、理事会はね、ちょっと弱気になってるんですよ。この間の総会のショックが大きくて」
「ああ・・」
瀬戸さんがコーヒーにフレッシュを入れながら、自嘲ぎみに笑う。
「あの次の日曜日なんか、集まってもみんなボーッとしてなんにも発言無かったもんなあ。僕も4〜5日、頭が真っ白になっていた。そこへ中島くんから電話がかかってきて、三島くんと会ったことを聞いた」
「瀬戸さん、やりましょう」と僕。
「このまま反対派に押し切られることはない。住民の8割が賛成なんです。あとはE棟だけ。ここは1つ、力を合わせませんか?」
「ああ、もちろん。」と瀬戸さんの顔が少しひきしまった。「そうするよ」
 
打ち合わせが終って帰りの阪急電車のなかで、僕と瀬戸さんは吊皮につかまりながら、黙って窓の景色をみていた。中島さんはまだ仕事が残っているらしく、本町の事務所に戻っていった。
「瀬戸さん、1つ聞いていいですか?」
「なんだい」
「この間、大山さんの奥さんが訪ねてきてね・・・」僕は大山夫妻の一連の言動を話した。
「そうか・・・」
「なにがあったんですか?」
ちょっと言いにくいけどね、とつぶやいて、しばらく瀬戸さんは窓の向こうの暗闇を眺めていた。
「・・あれは、震災のあった年の4月頃だったかな、大山さんから連絡があって、理事会のアドバイザーになってほしい、と頼まれた。僕はまあこういう仕事してるから、建物の構造は普通の人よりは詳しいし、専門の先生も何人か知っている。理事会が困っているのはよくわかっていたから、すぐに知り合いの教授のいるU大学の研究室に連絡をとって、被害状況を調べてもらうことにした。調査隊が入ったのは5月のことだ。外観を検査するだけで、ボーリングしたりはしなかったが、それでもかなりのレベルまで状況を把握できた。で、はっきりしたのは、このマンションは建替えなくても充分修復でやっていける、ということだった。僕はそのことを大山理事長に話し、一緒に復興しましょう、と意気投合した。あの頃はうまくいっていたんだ。当時は奥さんなんか、もうえらい好意的でね。
“休みに田舎へ帰ったら竹の子やら椎茸やらが沢山採れました”って玄関までそれを持ってきてくれたり」
「信じられませんね、いまではもう」
「1年目の夏まではずうっとそんな調子だったよ」電車が逆方向の急行とすれ違い、開いている窓から突風が車内に勢いよく吹き込んできた。僕は慌てて髪の毛を抑えた。瀬戸さんは吹かれるままにしていた。
「その1年目の8月に確か総会があって、投票したら建替えのほうが多かった」と僕。
「あのとき僕は理事会に頼まれて、修復費を試算した。試算、といってもまだ本格的な地中の杭の調査なんかはしていない段階だったので、概算だった。それとどうせ修復するなら今度同じ様な地震が襲ってきてもびくともしないよう、できるだけ強化しておこうと思った。A棟が若干傾いていたんで、これをジャッキアップして直そうとも思った。そういった諸々の費用が加算されて、結局1人あたり平均600万円くらいになった」
「ちょっと高すぎた」
「で、あえなく修復案は過半数を割り込んだ。このときからどうも、僕は本気で修復を考えてないんじゃないか、だからあんな高い費用を示したんじゃないか、と勘ぐられるようになった」
「ふうん」
「それに加えて、僕が建設会社の定岡組からなにか貰ってる、っていううわさが流れて、それをあの夫婦はまともに信じた」
「誰がそんなうわさを?」
「まあ、佐野だと思うよ。佐野と大山さんは、芦屋の同じスポーツクラブに通ってる」
「むむ、あの2人、つながってるんですか?」
「多分ね、それか、佐野夫人が得意の井戸端会議で噂をばらまいてるか、どっちかだよ」
窓の外は相変わらずの闇だった。時々遠くのほうにネオンや街灯がかすかに光った。上を見ると分厚い雲の間から半月が淡い光を放っていた。
「で、今度のビラ問題になる?」
「大山さんが最初に理事会に送ってきた文書には、具体的な区分所有者の名前が入っていた。◯◯さんの意見をもっと聞いて欲しいとか、××さんの言ってることはおかしいとか。で、悪いけど大山さん、この人名の部分は削ってもらえませんか?大山さん個人の意見だけにしてくれませんか?と頼んだんだ。すると大山さんはわかりました、と承諾して書き換えてきてくれた。それを持って僕の家の玄関に来た。このとき僕がすぐこれを預かればよかったんだが、彼が“時間が無いんで、いますぐ掲示板に貼り出しください”と要求するんで、つい“いや、これはやはり、今度の理事会にかけて、理事の承諾を得てから、貼り出します”って言ってしまったんだ。そしたら、怒ってね。猛烈に怒って。“冗談じゃない、もう頼まない。自分でやる”って帰っちゃった」
「ああ・・」
「しまった、と思ったよ。でもどうしようもない。僕にはもう手の打ちようがない」と瀬戸さんは頭を振った。
駅に電車がすべりこみ、周囲がふいに明るくなった。

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