見出し画像

[第2部 復興](9)

彼の突然の転向


それでも理事会は我々の提案を受け取り、検討する、と一応約束してくれた。瀬戸さんは終始、黙っていた。帰り道、長部さんは絞り出すような声で言った。
「もし理事会が本当に拒否するなら、ワシはやるよ」
「うん、そらここまで来たら、そうせな」と賀来さんもうなずいた。僕は黙っていた。マンションの下で3人それぞれの棟に別れた。夜、皆川さんから電話がかかってきた。
「申し訳ない」と彼は言った。
「三島さん、このままでは終わりません。なんとか良い方向へ持っていきます」
「お願いしますよ」とだけ言って僕は電話を切った。このころから僕は胃が痛くなっていた。5年程前、神経性胃炎を患ったことがある。その時は薬で治ったのだが、どうも久々に再発しているらしい。親戚に内科のお医者さんがいるので、電話をして症状を伝え、合いそうな薬を送ってもらうことにした。なにせ市販の薬を買っても近所の医者にかかっても、この胃炎に関してはまるで効かないのだ。5年前の時は県立病院で朝の6時から順番をついて(ものすごく流行っている病院で、早朝から列が出来ている)10時頃ようやく番が回ってきて3分ほど診てもらったのだが、この時に出た薬はさすがによく効いた。そのときの錠剤の名称を電話で伝えて、親戚に参考にしてもらった。
「三島さんは多分、胃じゃなくて十二指腸だろうなあ」とその親戚のお医者さんは言う。 寝る時に特に痛むので、体を「く」の字に曲げて寝る。そうすると少しやわらぐ。
 
9月に入っても暑さは一向に衰えず、コンクリートの壁の裂け目から見え隠れするひん曲がった金属棒は錆びたまま鈍く光を放っていた。
「三島さん、ちょっとこっち」とE棟の下の自転車置き場に居た僕を、池谷さんが呼んだ。どこから呼んでいるのか?と頭をぐるりと回すと、路上駐車している古いアコードワゴンが目に入る。日曜の朝、11:00だ。あのまま、何の進展もなく一週間が過ぎてしまっていた。その間にも、建替え派は、佐野、須崎を中心に提案粉砕の地固めを着々と進めているにちがいない。理事会は一体どうなったのだろう。ちゃんと審議をしてくれているのだろうか?気になったが、胃薬が届くまではあまり深く悩まないようにしよう、とも思った。
「こっち、こっち」と池谷さんは盛んに手招きする。せっかちな人である。
「三島はん、はよ来いな。須崎のぼうずが出て行きよんねん」
「は?」
「あああ、もう車出しよるわ。はよう、これに乗り」
やや強引に僕を助手席に押し込むと、池谷さんはアコードを発進させ、90度右にハンドルを旋回する。僕は揺られてちょっと重心を失う。須崎のぼうず?
「もう大学生やな、あいつ、ほらあの前のブルーの車、須崎の息子が運転しとんねん」
「?」僕はまだ状況がよくわからない。
「ああ、三島はん、ところであんたいま、急ぎの用事とかないんか?」
「今頃訊かれても困りますよ。これからスポーツクラブに行こうとしてたんです」と僕はバッグを膝に挟みながら言う。夏頃から運動不足を自覚し始めていたので、JR芦屋の駅前にあるスポーツクラブに入会していたのだ。プールにマシーン、エアロビクスなどがある。僕は水泳しかしないのだが。
「あの芦屋の?あんなん行っとんか。ほならこの後送っていったるわ。それまでちょっと付き合うてくれるか」
「どこ行くんですか?」
「そやからあの息子の後を追跡するねん」
「なんで?」
「あんた知らんのか。須崎な、この間マンション引っ越しよったんや」 へえ、そうですか、と前のブルーの車を見る。外国製の小型オープンスポーツカーだ。茶髪のにいちゃんがハンドルを握っている。親父に買ってもらったのか…。
「三島はんとこ、同じ棟の同じ階やのに、挨拶も来んかったんちゃうか?誰も知らなんだんや。わし、たまたま管理人から聞いて、もうびっくりして、そうしたら昨日引っ越しセンターのトラックが来て」
そういえば、大型トラックがE棟に侵入してきてましたね。
「マンションの復興の邪魔して、自分はさっさと芦屋に家建ててしもたらしい」
じゃあどうして息子がいまごろうちのマンションに来てたんですか?
「さあ、忘れ物でもしたんやろ。でな、管理人も引越し先を知らんさかい、いま突きとめたろ、思うて」ああ、なるほど。赤信号で止まった。と、息子が脇に置いてあるカバンから携帯電話を取り出し、どこかへかけ始めた。かけながら、時々、ちらっと後ろを振り返る。
「見つかったな、わしら」と池谷氏がいまいましそうに言う。
「あいついま親父に電話して指示をもろうてるんや、そうに違いない」信号が青にかわると、オープンカーはうなりをあげて発進した。国道をまっすぐ神戸方面へ向かう。左右の沿道には電信柱を挟んで、レストラン、中古車センター、ビデオショップ、家具屋、マンションなどが立ち並んでいるが、ところどころ歯抜けになったように地面がむき出しになっている。恐らく震災で倒壊した跡なのだろう。うちのマンションは取り壊されてないだけまだましか、と考えていたら、急に視界がぼんやりとモノトーンで閉ざされたような気がした。
「うわ、ガス出しよった」と池谷さんが叫んだ。スポーツカーから黒い煙りが吹き出し、景色をみるみる灰色に染めていく。まるで深海でタコに墨を吹き付けられたみたいだ。慌てて池谷氏は右にハンドルを切って車線変更する。その間に息子のスポーツカーはどんどんこちらを引き離し、視界から遠ざかっていった。こちらの車線は渋滞ぎみなので追走するのは難しい。
「やられたな」と池谷さんはつぶやき、ボンとハンドルを右手のひらで叩いた。そのまま交差路を北に折れて芦屋の駅の方へクルマを方向転換する。
「まあ、だいたい行く先の見当はついとるわい。あれでわしらをまいたつもりかも知れんがな」
 
夕方6時頃までスポーツクラブの温水プールで泳いだあと、僕はジャグジー(泡風呂)に浸かり、タオルで体を拭いて髪の毛をドライヤーで乾かし、綿棒で耳の穴を掃除してから、服を着てカードを受け取り、エレベーターに乗って建物の玄関を開け、なだらかな外の風に当たりながらマンションまで歩いて帰った。エントランスをくぐりぬけ、僕の住むE棟の掲示板の前にくると、そこにB4サイズの白い紙が押しピンで留めてある。よくみると、D棟の沢田さんが理事会に宛てた手紙のコピーで、その全文が掲載してあるようだった。
趣旨は次のようなものだった。
『私はいままでこのマンションは修復ではなく、建替えがなされるべきだと考えてきた。それは建物の安全性や財産としての将来価値を考えてのことだ。しかしこの8月の総会の結果をみると、住民の80%以上が修復を支持しており、もはや建替えに合意を得ることは不可能だろう。であれば、ここは修復に意見を収束し、一刻も早く復興の道へ踏み出すべきである。建替えを標榜する人達もここで熟考し、悔いのない選択をして欲しい』
急にぱっと目の前が開けたような気がした。沢田さんはかつて須崎、佐野とともに建替えを住民に訴えた中心人物だった。その彼の突然の転向は、建替え派にとって大きな打撃、我々にとっては大きな救いの神になるに違いない。そう思いながら家に帰ると、妻が、留守中に瀬戸理事長から電話があったことを教えてくれた。
 
瀬戸さんの家はB棟の5Fにある。部屋は南向きのリビング・ダイニングと子供部屋、寝室。奥さんは小柄で華奢な、中学校の物理の先生である。旦那と違って物静かで冗談もほとんど言わない。僕がその日の夜伺った時は子供さんは現れず、夫婦2人でもてなしてくれた。
「三島くんはビール?それともウィスキー?」
「いや、お茶でいいですよ」
「まあそういうなよ。ビール呑もう。今夜も熱帯夜やし、のどが乾く」と瀬戸さんが扇風機をこっちへ向けてくれる。
「沢田さんの手紙が貼り出してありましたね」
「ああ、あれには驚いた。でも沢田さん自身はいまでも建替えたいらしい」
「そうなんですか?」
「昨日、本人に電話で確かめた。でももうそんなことを言ってる時期じゃないだろう、と言っていた。その調子で須崎や佐野を説得してくれればいいんだが」
「本当ですね。ところで理事会の方は?まだ審議してるんですか?」
「いや、そんなのはとっくに終わったよ。明日、君が持ってきた“総会招集請求書”を貼り出す。署名した人90名の一覧表と」
「じゃあ、総会、やるんですね?」
「ああ、満場一致で決まった。出原氏も」
「あの人反対してたじゃないですか」
「あれは見せかけだよ。ポーズ。ああ見えてもこのマンションのことを一番本気で心配しているのは彼なんだ。それとね」と冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出しながら瀬戸さんはこっちへ向き直った。
「A棟の1Fに住んでる鳥井さん、このままだと来年には破産してしまうそうなんだ」
「そうですか・・」
「1Fは特に天井や床の壊れ方がひどくて、ちょっと住めない。で、避難してるんだけど、2重ローンに耐えられなくなってきているらしい。だから、今度の総会でなにがなんでもけりをつけなきゃいかん」
「そうですか。出原さんも理解してくれたんですね?」
「さっき電話したらもうやる気まんまん、作戦を練っていたよ」とにこっと笑う。
奥さんが僕のコップにビールを注いでくれた。
「なんとかなりますわよ、きっと」
「ええ、そうしなければ」3人で乾杯した。扇風機の風が快く感じられた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?