見出し画像

[第2部 復興](10)

ごく普通に話をしてみよう


翌日の朝、僕や賀来さんたちの「総会招集請求書」と、それを受けた理事会の「臨時総会開催のお知らせ」が各棟の掲示板に一斉に貼り出され、僕達の運動はついにオープンになった。臨時総会は、9月23日(祝)の午後1:30から、場所は前回と同じ、西宮市勤労会館で行うことが決まった。その夜から毎晩、僕は会社から帰ってくると夕食を簡単に済ませ、電話器を食卓に移し、マンションの住民名簿とノート、それに7月の総会の議事録をその横に置いた。まず議事録の最後のページに記されている「投票結果一覧」を見る。そこには棟別に、議決に反対した人、賛成した人が記されている。E棟で反対したのは17名。このうち4名を賛成に持っていかなくてはいけない。まず7Fの「辻」氏のところに×印を付けた。この人はすでに、池谷さんが「寝返り」に成功している。だからあと3名。名簿を眺めながら、なるべく須崎や佐野の息がかかってなさそうな人を選んで、受話器を取り、番号を回す。僕はほとんどの人と面識がない。面識がなく、先の総会で反対票を入れた人にいきなり電話をし、賛成に回ってくれ、などと説得するのは、無謀なことに思えた。また、それを無理強いしたいとも思わなかった。ただ、事情を聴いてみたい。なぜ、前回反対したのかを知りたい。それと、反対しても事態はなにも変わらないのだ、ということを示したい、という気持ちはあった。それでも反対するのならこれは仕方がない。僕には権力も金もないし、脅かすこともできない。だから住民のひとりとして、ごく普通に話をしてみようと思った。

最初は2Fに住む「板東」という人。この人は佐野氏の隣に住んでいるので、その影響力を考えると賛成してくれる可能性はやや薄い。ご主人が電話に出た。
「ああ、掲示板見たで。ワシな、この件はいつもヨメに任してんや。そやから何も言うことあらへんけどな。まああんたらの言うように、建替えは難しいワ。金ぎょうさんかかるしな。そやけどワシ、そもそも今の理事会、信用してへんねん。20年前にここ建てた“定岡組”もな。噂によると、ここ、鉄筋工事で針金巻いてなかった箇所、あるらしいな。柱や梁の幅もバラバラやて。そう、手抜き工事。そんなとこに任せられへんで。今回業者を決めるのに3社で相見積もり取らせたいうてるけど、あんなん、デタラメや。最初から理事会と“定岡組”はつるんでるねん。そういうことでな、悪いけど、賛成はでけへん」
反論しようにも相手に信用されていない。会話が噛み合わず、早々にリタイアする。
次は6Fに震災当時住んでいて、その後神戸に避難された、田畑氏。現在6Fの624号室は空き家になっている。
「うちはね、床もベランダも傾いててね、じっと座ってると、平衡感覚おかしくなるよ。あなたいっぺん見に来たら?テーブルの上にパチンコ玉置いたら転がるし、ベランダの水は排水孔まで流れないんだ。こんな状態で部分的に修復したって意味ないよ。それに修復費だって、共用部分以外に専有部分を足したら1000万超えちゃうしね。うちの列はね、あなたのとこと違って、1Fから7Fまで、全部傾いてるんだ。この列は特殊なんだよ。それなのに、この前の理事会の修復計画を見ると、E棟の工事には“ジャッキアップ”は含まれていない。部屋の傾きは、自分で修理してください、って理事会は言ってるようだけど、そんなの無理だよ。それに修復じゃあ資産価値は回復しない。やっぱり建替えてもらわないと。今度の総会でもし修復に決まるようなら、私はここを売ります。買い取り請求権を行使してね。とにかく、早く処分したいんだ」話の分かりそうな人ではあったが、考え方にまだかなり開きがある。次は 1Fに住む西井氏。梅田で歯科医を開業している。
「いやあ、ご苦労はんですなあ、このたびは。うちは1Fでしてね、御存じの通り、今回は1Fの被害がよそよりかなり激しかったんですわ。そういうことで私も避難してましてね。もし修復したとしてもちょっと住む気にはねえ。売るか、貸すか…。まあお宅らが動いてはるのもようわかるんですわ。確かにこのままでは膠着状態でっしゃろ。…ただね、ここだけの話ですけどね。私、以前から佐野さんの世話になってましてね、いろいろと。震災のあともあの人にアドバイスを受けたりして。だからってどうということはないんですが、あの人、修復では不安や、建て替えるべきやって、ずっと言うてはるんですわ。そやからその辺でね。まあ付き合いっちゅうもんがあるんですわ。お宅らには悪いんやけど・・」義理人情の板挟み、というわけか。次。4Fの一室を、某放送局の関西支社が会社名義で所有している。震災前はそこの支社長が住んでいたらしいが、いまは避難し、会社の別の社宅に住んでいるらしい。この会社の総務部へ電話すると、支社長本人が出た。「藤」という名前だった。彼は黙って僕の説明を聞いていた。
「如何でしょうか?藤さんはどう思われますか?」
「なにが?」
「いや、だからこのマンションをどうするかという・・」 僕が話し終えないうちに支社長は喋り出した。
「そんなの建替えに決まってるじゃないですか。いつまで揉めてんだろうね。あんたらが引き延ばしてるんじゃないの?もういいよ。決まらなきゃ、売るだけだからさ。勝手にやってよ」取り付くしまもなく、話は終わってしまった。まあ個人で所有している家ではないのだから、冷ややかなのも当然といえば当然か。
 
翌日、廊下を歩いていたら、平林さんに出会った。平林さんは署名を集め始めた時に2番目に相談した人で、今のマンションの窮状、困難な点をよく理解されている。60過ぎぐらいで温厚な人柄だ。僕の顔を見て、
「三島さん、どうですか?その後の状況は」と聞いてきた。
「うーん、いま順番に電話をかけてるんですけど、思っていた以上に手強いです。皆さん、まったく立場を変えようとしない」
「そりゃまずいなあ。なんとかしないと。4Fの伊賀さんには連絡しましたか?」
「いえ、まだです。どんな人なのか、手がかりがまったくないもんで」
「僕はよく知ってるよ。伊賀さんはね、このマンションが出来た時からの住民で、僕もそうなんだが、古株なんだ。そうそう、10年ぐらい前に理事長を経験したこともある。だから自分のエゴだけじゃなくて全体が見えるはずだ。いまは避難をして名古屋に住んでいるらしいんだが」
「そうですか」
「うん、そうだ。僕が手紙を書いてみるよ。彼なら考え直してくれると思う」
「お願いします、平林さん。ちょっと八方塞がりなもんで」
その夜、平林さんからワープロでマンションの窮状を訴えた伊賀さん宛の長い手紙のコピーが、僕の玄関に投函されていた。そこには手書きのメモが添えられていた。
『三島さんへ。これと同じものを伊賀さんに送りました。1週間程したら電話して確かめてみるつもりです』
平林さんの手紙に目を通していると、瀬戸理事長から電話が入った。
「吉報だよ、三島君。A棟の賀来さんと、B棟の出原さんが、いまおたくの棟の人にアプローチしていてね、これがどちらもいけそうなんだ」
「本当ですか?」
「ああ、まず1人は4Fの金田さん。この人を知っている人がA棟に2人いてね、賀来さんがA棟の署名を集めている時にわかったんだ。で、昨日、賀来さんがこの2人に働きかけて、なんとか金田さんを説得して欲しいって頼んだ。今日その2人が金田さんのところへ乗り込むらしい」
「へえ」
「で、もう1人はね、同じく4Fの柴山さん。これが若い人で、出原氏の息子の友人らしい」
「そうですか」
「出原さんは普段はかみなりおやじで息子を叱ってばかりいるけど、今回は息子が頼りなんで立場が弱いらしい」
「はは、うまくいくといいですね」
「うん、そっちはどう?」
「いまのところ全敗です。難しい」
「6Fの田畑さんは?」
「電話しました。ちょっときびしそうです」
「実は田畑さんにも連絡をとってるんだ。僕と出原さんで。ここは空家になっていて本人は早く売りたがっている」
「ええ、そうですね」
「だけど実際には復旧しないと、こんなとこ売れない。買取り請求権を使っても、値段が買取り側と折り合わなければ、裁判になる可能性が高い。現に芦屋のマンションはそういうケースが出てきている」
「裁判になるとストップしてしまいますね」
「だから、田畑さんには、一旦修復に決めて、それが済んでから売った方が結局、近道ですよ、と言ってるんだ」
「わかってくれますか?」
「考えておく、と言っている。来週、僕と出原さんと3人で会うんだ。そこに僕の知り合いで仲介屋の△△不動産のセールスマンも連れてくる。彼なら利害関係がないんで客観的な意見を言ってくれると思う。」
「田畑さんもOKなら、4人揃いますね」
「そういうこと。頑張ろう、もう少しだ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?