見出し画像

[第2部 復興](5)

わしらが本気出したらどれほどのものか


お盆休みの最後の日、僕は朝からリビングの電話台の前に陣取り、「一覧表」をにらみながら次々に電話をしていった。矢車氏の主張を受け入れ、E棟集会を全体集会に切り換えて、各棟から署名を集めることにしたのだ。そうなると僕一人ではできない。各棟に協力してくれる人を決めなければならない。池谷さんと相談し、
*A棟 賀来さん
*B・C棟 田代さん
*D棟 長部さん
を代表メンバーに決めた。
賀来さんは、僕が理事だったときの理事長。田代さんはそのときの書記。長部さんは大山さんの前の代の理事長で、震災当時、管理会社の対応の悪さを怒鳴りつけた人だ。長部さんだけはまったく面識がなかったが、池谷さんが強力に推薦した。
「あの人は間違いないで。信頼できる人や。実はわし、もう話をつけてきたった。いっぺん全員集合しよ」
妻は買い物にでかけ、夜の会合のために酒の肴とビールを買い足しに出かけた。昼前、その池谷さんがひょろっと顔を出す。
「三島はん、辻のやつ、ハンコつきよったぞ」
「本当ですか?すごい」
「ああ、前からあいつとはよく話しててん。気の毒に、建替え派にだまされよって、ここでふんばってたら新築になって、すごい値で売れる、言われて、信じとったんや。そんなん永久に無理やで。修復やったら1年で済むで、いうてほれ、うまいことハンコつかしたった」と僕に署名と捺印の跡をみせる。
「なんか悪徳商法みたいで気がひけるなあ」
「そんなことあらへん。次はな、小島のおばちゃん、7階におるやろ。あいつ、引っくり返したるわ」
「頼りにしてます。がんばってください」
「ん、まかしとき」自信たっぷりだ。そのまま外へ出ていくかと思ったら、また戻ってきて
「あんた、玉置はんのとこ行ったらしいな?」
「ああ、2階の?あそこ駄目だったんですよ。ご主人に不審がられましてね。門前払いです。相手にしてもらえませんでした」
「わしな、昨日会ったとき、なんやそんなこと言うとったからな、『玉置はん、とんでもないで。三島はんはわしらの味方や』ゆうて、よう諭しといたから、大丈夫や。もういっぺんいきなはれ」
「そうですか?」と僕は半信半疑だったが、午後、ラーメンを食べてから、2階へ降りて玉置さんの玄関の呼び出しボタンを押し「あの、3階の三島ですけど」と言ってみた。すると、さっとドアが開いて着物を着た高齢のご主人が現われ、玄関の板間に座り、顔をこすりつけるようにして、
「先日の、非礼をお許しください・・・」と謝り始めるではないか。ぎょっとして、
「あの、とんでもないです。そんなんじゃないんで。気楽にしてください」と慌てると、ようやく向こうも
「いやあ、猫のじいさんにえらい怒られまして」と笑顔をみせた。訊くと、須崎らがしばしば夜訪ねてきて「建替え支持に変わってくれ」と圧力をかけていたという。それで僕もその一派だと勘違いしていたようだった。
「えらい、さかさまでしたわ。署名でもなんでもしますよって、三島さん、がんばってください」と激励されてしまった。
 
午後6:00、各棟の代表メンバーが続々と僕の家を訪れた。
賀来さんは白髪だが相変わらずかくしゃくとしていて、お元気だ。週末は必ず神戸の陶器教室に出かけているらしいが「なかなか腕前が上がらんで」というのが目下の悩みらしい。数年前まで重工系の技術部長職を永年勤めていたらしく、マンションの構造に関しても詳しい。さらに理事長の任期中には法律関係も猛勉強されたようで、区分所有法でもなんでもよく知っている。田代さんは、例の電車の設計をしている人だが、趣味はヨットで、本人いわく「1年の1/3はヨットに乗っている」。ヨット生活を支えるために、小さな事務所を起こして設計業を請け負い始めた。最初はマンションの自宅が事務所だったが、今年から夙川駅の北側にビルの一室を借りて、部下を2人雇い、事業を拡大し始めた、らしい。やや禿げ上がったおでこのキワまで真っ黒に日焼けした顔で現われる。
「昨日までハワイにおったんや」彼女は元気?「うん、まあまあやな。」
長部さんは、経営学部の教授で、平日は青森県にある大学で教鞭をとり、週末は飛行機でこちらに帰ってくる。60代後半だがこの方もすこぶる元気だ。
「わしゃあの建替え叫んどる連中をいっぺんガツンと言わさなイカンと思うとるんや。あいつら修復は嫌や言うだけで、何にも代案を出さん、ただの駄々っこや」と巨体をゆすりながら言う。
最後に池谷さんが得意のイタリアワインを持って登場。
「ま、これだけのメンバーが揃ったら、こっちのもんや」とにやにやしながら言う。
「どうぞ、なんにもありませんが」と妻がサラミやチーズやクラッカーを出してくる。
「奥さんも、すわり」と僕の妻に言いながら、池谷さんがワインを皆につぎ、ビールとワインで乾杯。
「それにしても佐野や須崎は、この先一体このマンションをどうするつもりなんでしょうなあ」と長部氏が赤ワインをぐいぐい飲みながら言う。
「それがわからん。あくまで建替えたいのか。それともなんらかの条件を引き出したいのか」と田代さん。
「条件?」
「ああ、言うこと聞いたるから何か持ってこい、と」
「そこまで悪どくはないでしょう、」と賀来さん。
僕はクラッカーにチーズを乗せながら
「ところで池谷さん、小島のおばちゃんはどうだったの?」
すると池谷氏は顔をしかめて
「あそこはアカンかったわ。あのおばはん、佐野とごっつい太いパイプが出来とんねん。1人暮らしやさかい、ひょっとして関係、できとんかも知れんな。さっき廊下で会った時、わしが色々説明してやっても、うわの空でな、ま、考えときますわ、言うて家に入りよってん。で、わしが自分の家に帰るとすぐに佐野から電話がかかってきよってな。『はい、池谷です』言うたら、物凄うでかい声で『余計なことすな、ボケ!』て怒鳴りよって、そのままガチャン、て切りよった」
「ついに正体現わしたな」と田代氏の赤ら顔がさらに赤くなる。
「敵もこれから必死や」
と云いながら、妻が冷蔵庫から取り出した最後の缶ビールの栓を威勢よく開ける。僕が、
「皆さん、これで建替え派にこちらの動きが伝わってしまいました。ですので署名の方、急いでお願いします」と神妙な顔で頼むと、長部さんは
「心配ない。すぐ集まる。わしなんか2日あれば充分や。わしらが本気出したらどれほどのものか、あいつらに見せつけてやったらええねん」といつの間にかポケットからウイスキーの小瓶を取り出して独りでぐびぐび飲み始めた。どうやら皆さん、わが家が用意した酒では、到底ご満足いただけそうにない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?