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[第1部 被災](7)

初顔合わせ


お盆休みに入った日の夕方、家のベランダの水槽で日なたぼっこをしているカメに餌をやっていると、部屋の向こうの呼び鈴が鳴るのが聞こえた。玄関をあけると、マンションの管理人が立っていて、僕に「来期の理事会のメンバーになってほしい」と告げた。入居3年目でちょうど順番がまわってきたのだ。
僕は断わろうと思った。平常時ならともかく、この時期に理事になるということはマンションの復興問題にいやがおうでも取り組まざるを得なくなる。自分の住むマンションの問題は勿論、自分自身の問題であったが、他の200世帯以上の住民の問題には正直いってあまり関心がなかった。自分の家族さえうまくいけば、というのが(悲しくも)偽らざる心境だった。だいたい他にどんな人が住んでいるのかさえ、ほとんど知らないのだ。妻は子供の愛護会とか小学校の学童保育とかで知り合った人がいて、そこから多少住民とのつながりもあったが、まあ僕と50歩100歩だった。
「ちょっと考えさせてほしい」と僕は言った。言いながら、何とか断われる理由はないものかと頭を巡らした。いま理事会は日曜日を全部費やして運営されている。平常時は月に1回で充分だったが、この状況ではそうもいかない。商売をしている人は「日曜日は、カキイレ時だから」といって断わっているようだった。僕もできるならそうしたかったが、あいにくこっちは週休2日のサラリーマンだ。「考えさせてほしい」と返事をしたが、管理人は引き下がらなかった。
「そう言わずになんとかお願いしますよ」
235世帯のマンションから12名の理事が選出されるルールになっているのだが、こんな時期だけに皆逃げ回っていて引き受け手がなかなかいない。管理人はなんとか僕を落して、少しでも人数を確保したいようだった。僕はふと管理人の眼をみた。しわの深い真剣なまなざしだった。実はこの6月で「西宮セントラルハイツ」の管理人は任期満了で定年退職し、新しい(やや若い、多分40代後半の)この人が着任したばかりだった。
「この非常時に管理人を交代させるとは、一体どういう了見だッ」と長部さんは住民集会で管理会社の代表に噛みついた。確かに前任者のI氏は20年前のマンションが出来たときからの管理者だったし、震災以後の住民のダメージも現場で知り抜いていた。その人が去って、まったく新しい人がこの傷だらけのマンションに派遣されてくるのだから、不安な気持ちにならないわけにはいかない。しかし新しく来た西条さんという人は真面目でよく働く人だった。僕や妻は、西条さんが夜遅くに敷地内を見回る姿や、昼間夏草を刈り取る姿を目にするようになった。このマンションに派遣される前は、管理会社の親会社の工場で梱包作業に従事していたらしい。その彼がいま僕の目の前にいた。
「三島さん、どうですか。やってもらえますか」
いまの理事会に課せられたテーマは2つあった。1つはマンションを「修復」するのか「建替え」るのかを決めること。もう1つは、その決定がなされるまでの間、損傷を受けたマンションが2次災害(雨漏りなど)を起さないよう日々問題解決にあたり、どうしても修復を必要とする場合は住民の理解を得て、最低限の補修を実行に移すことだった。この2つを当分の間、同時に進行させる必要があった。
 
理事会の初顔合わせの場所は、C棟の狭い管理事務所の中だった。絞り出すような暑さが体をむしばむようで、赴くのがおっくうに感じられる夏の午後だった。しかし(管理人に結局押し切られたにせよ)引き受けた以上、最初からサボるわけにもいかない。筆記用具と手帳を片手に、支柱が坐屈しはがれたセメントから金属の棒がむき出しになっているのを横目で眺めながらC棟の事務所のドアを開けると、白髪の背丈のがっしりした老人が長椅子にぽつんと座っていた。
「こんにちは」と僕は挨拶した。
「ああ、どうも。ごくろうさん」と老人は答えた。狭いスペースに長椅子と管理人用のデスクがあるだけの部屋で、その奥に会議室があるらしく、そこから数名の話声が漏れ聞こえていた。
「奥に誰かいるんですか?」と聞くと、
「奥?ああ、いま前の理事達が最後の打ち合わせをやってるところですよ」と老人は丁寧に答えてくれた。
しばらくして、会議室のドアがあき、奥から理事会のメンバーが数名出てきた。アドバイザーの瀬戸氏、中島氏も現われた。瀬戸氏は僕の顔を見ると、にこっと笑って「ご苦労さん」と声をかけた。僕は「どうも」と会釈したが、こっちは気が重くて顔がひきつっている。メンバーが退場すると、管理人の西条さんが「新理事の方、中へお入りください」と僕達を促した。僕と先程の老人、他にも集まってきた人たちが会議室にぼつぼつと入ると、大山理事長と2名の副理事長が座って待っていた。
会議室といっても10畳程度の狭い部屋で、入り口と反対側にあるドアは開け放され、そこから坐屈した柱が丸見えだった。部屋には東側に窓が1つあるだけでクーラーも暖房もなにもない。冬はさぞかし寒いだろうなあ、と思う。無論いまは蒸し暑い。新旧の理事が簡単な自己紹介を済ませた後、大山氏が「ではさっそくですが・・」と切り出した。
「新しい理事会の3役、つまり理事長1名、副理事長2名を今日この場で決めていただきたいと思います。従来はまあ年功序列というか、年配の方にお願いしてきたのですが、今回は特殊な事態になっていますので、その選出方法も含めて皆さんで討議していただきたい」
部屋はしんと静まりかえった。しばらくして新メンバーの誰かが
「こういう事態なんだし、むしろ若い人にお願いしたほうがいいんじゃないですか?」
と小声で主張した。冗談じゃないよ(僕は新理事の中では恐らく最年少だ)と思っていると、僕の向かい側に座っている分厚い顔をした人が目を細めて
「手帳を持ってくるなんて、あなた、すごい積極的やないですか」と僕を観察しながら言う。
「やばい、どうしよう・・」とあせっていると、僕より若干年上と思われる真っ黒に日焼けした男性がグッと身を乗り出して
「いやいや、やっぱりこういう重要な時だからこそ、発言に重みのある、年長の方にやっていただきたい。我々若手は、もちろん実務を引き受けて、3役をサポートしますから」と流れを変えてくれ、結局3役は従来と同じように年配の3名に決まった。
理事長になったのは最初に入り口の部屋で話をした、賀来(かく)さんという人だった。
「えらいこっちゃ、当分、陶芸教室にも通えんようになるなあ・・」とぼやきを口にしながら、前期理事会から受け継がれたファイルの資料に熱心に目を通し始めていた。次に書記と広報担当を決めることになった。さっき発言した日焼けした男性(田代という人だ)が自分の発言の責任をとるような形で書記を引き受けることとなり、最初に目をつけられた僕は、住民へ理事会からの情報を流す、広報を担当することになった。僕を知っているらしい副理事の1人が「三島さん、がんばってくださいよ。なんせ前期理事会は、住民の声を少しも拾ってない、住民に情報を充分流せていない、って非難がバンバン出てきてましたから」と激励してくれ、僕はさらに気が重くなった。ひととおり役員が決まったところで、次回の日程と議題を確認、そのあと大山さんが再び挨拶し、
「いま、このマンションは非常に難しいところにきていますが、何とか震災以前の、皆が安心して住まうことができる場所に戻せるよう、がんばってください。我々も応援します」と述べられ、最初の理事会は終わった。
事務所を出ると、もう午後2時になっていた。急に腹が減り始め、よろよろと自分の家に帰ろうとすると、後ろから
「三島さん、あとでうちへ寄ってくれ」と田代さんが声をかけた。
「え?なんで」
「俺、今日の会議の議事録を書かなあかん。書記やからな。三島さんも“理事会ニュース”出すんやろ。一緒にやろうや」
「あ、そうですね。じゃあ夕方伺います。」やれやれ、結局今日一日これにかかりっきりやな。と再びよろよろと歩いて階段をよじ上り、3Fの自宅に帰った。

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