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3-4X10月から34年目の6月

このニュースはなかなかワクワクした。「首」が革新的だったが製作のごたごたがあり公開までがやたら長かったのもあり。アマゾンなら早いかも。

「首」公開時のインタビューからすると次回作は「暴力映画におけるお笑い」とのこと。これについてはある意味すでに過去に撮っている。そう、「3-4 x 10月」である。

先週、池袋の新文芸座で久々に観た。やはりすごい。「その男、凶暴につき」と「ソナチネ」の間に挟まれていて世間的な印象は薄いが、3-4を最高傑作に推す者も多いであろう。

私にとっては「ソナチネ」が90年代邦画の最高傑作であるが、観ようによっては3-4の方が上だと思う時がある。

それはやはり冒頭の「暴力映画におけるお笑い」の革新性。「その男」は最初から最後までシリアスな暴力映画だが、「3-4」は暴力とお笑いが交互にやってくる。草野球での走者追い越しシーンはおかしすぎて映画館中ゲラゲラ笑い声がこだまし、少し後のパチンコ屋帰りの刺傷シーンでは客席がしーんとなる。また沖縄ドンパチと空港税関での銃密輸シーンの対比。

実際は交互にパタンパタンとやってくるというより、暴力シーンとお笑いシーンが相互に入り組んでフラクタルみたいな幾何学を織りなしている。代表的なのは、ビートたけしが渡嘉敷に自分の身代わりでエンコ詰めさせるシーン。不条理すぎて恐ろしいのとおかしいのと。

笑いをこらえきれずも「怖い」と感じる。こういう両義的感覚を喚起する映画ってそうそうない。そういう感覚がつねに同居する世界にいたからこそ作れるのだろう。(もちろんヤクザとつながりのあるお笑い芸人なんて腐るほどいるわけだが、作品に昇華するということ)

そしていま見ると、前半の脱力コメディは「みんな~やってるか!(95)」に通じるところあるし後半の沖縄やフラッシュフォワードは「ソナチネ(93)」に通じるし、情婦の女性をリズミカルにボカスカ叩いたりするシーンは「座頭市(03)」のタップダンスの先駆けじゃないかとさえ思う。

つまり暴力とお笑い、という北野武の原点的なテーマであり(繰り返し、「その男」はお笑いがない。元々は深作欣二向けに書かれた脚本なのが大きい)、後の傑作へつながる映画的モチーフの萌芽が豊富にみられる。

加えて「3-4」は映画音楽がない。ので後の作品みたいに久石譲の音楽が(いいんだけど)説明的、情緒的な方向に振り過ぎて興ざめしちゃうことがない。

という意味で、最終的な完成度はソナチネやHANA-BIだが、観ようによっては最高傑作であるこの作品。公開から今年で34年目。まあもちろん当時リアルタイムで見た世代じゃないがこのタイムワープ感。6/30に新文芸座で演るから観に行っていただきたい。

アマゾンと組んでつくる次の作品が予定通り「暴力映画におけるお笑い」をテーマとするのか。3-4に匹敵する作品になるのか。昨年の「首」を観るにかなり期待できそうな気はする。楽しみである。




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