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【無料】ウソをつく人の反対側にはウソをつかれる人がいる

「私は人生で一度もウソをついたことがありません」

これ以上のウソはないだろう。
良かれ悪かれ人はウソをつきながら生きる生き物であり、時にウソで誰かを助ける瞬間もある。

ゆえに全てのウソが悪いわけではないのだが、私は昨年全てのウソをやめました。

理由は単純明快。
ウソに塗り固められた大人たちから一生分のウソを見せつけられてきたから。

いくらなんでもウソと打算と大人の事情を全身で浴びすぎた。
どこかで麻痺はさせてきたつもりだったが、想像以上にダメージは蓄積していた。
もう完全なるウソ恐怖症なのだ。
もしかしてそれもウソなのか…?そうセンサーが反応した瞬間、体が勝手に拒否反応を示すようになってしまった。

誰かを貶めるためのウソをでっち上げ、その評判を巧妙に吹聴していくネガティブキャンペーン。
そんな簡単なことで人は地獄へ落とせる。

「そこまで下劣なことを人はやらないはず」
人は人の善意をどこかで信じているがゆえ、疑う発想を持ち合わせない場合がある。
そんな人の善意を利用し、上手く人の心をコントロールする人も世の中には存在する。
あまりに口が上手すぎるので、実際に対面して吹聴される時の臨場感は想像以上。
言い方のリアルさに本気の目が加わると、思わず信じてしまう時もある。

本当に口が上手い人が苦手になってしまった。
大抵、ウソの上手さと口の上手さはイコールする。
これは偏見や決めつけではなく物理的にそうなのだ。

ウソは誰でも得意なわけじゃなくウソは特技。
「ウソの下手な人」と称される人が時折おりますが、そういう人は大抵口下手である。
ウソの第一段階は口から放たれる。
ペラペラペラペラ口先だけで喋って、心なく人のことを持ち上げたり貶めたりする。

そして、次の段階になれば目でウソをつき始める。
相手の目を見ながら自分の目をウルウルさせて、「本当なんです。信じてください。僕にはあなたしかいないんです…」

相手の目を見てウソをつけるネクストステージ。
ここまでいけば末期症状であり、真人間に戻ってくることは難しい。

ウソつきはタイミングの計算も抜群であり、ただ闇雲にはいかない。
恐ろしいくらいに「今ならいける」と肌感覚で分かるので、絶妙な頃合いで言葉と目を駆使してウソをつく。

もう、ウソはお腹いっぱいどころかウソで心が破裂してしまった。
この辛さはウソをリアルに見られる立場にいることも起因している。

例えば、ヨイショされまくる立場にいる偉い人は様々な人たちからウソをつかれまくりますが、意外とウソに気づかない場面も多い。

なぜなら、偉い人と直面する時には細心の注意を払うからである。
ウソをつく側も偉い人の前では簡単にヘマはしない。
大袈裟ではなく、偉い人の前では命懸けでウソをつく。
ウソをついている最中は、とんでもない集中力を使って全神経を尖らせていることがひしひし伝わる。

それゆえ、命懸けのウソタイムが終わると緊張感から解放されて一気に気を抜きドバドバと本性が溢れ出す。
私は偉くないので、その本性をこれでもかと目の前で見せてくれる。

「おお…さっきまでの全部ウソやったんかい…!」
心の中でツッコミつつも平静を装う。
そんなものだと麻痺してきた時期もあったが、やはり気持ち悪いものは気持ち悪い。

他にも…
酒の席ではこれでもかと言うほどボロクソに叩きまくり罵詈雑言の嵐。

ボロクソに言われている人の性根がバレていたので、言われる側にも大きな理由はあるのだが、あまりに酷すぎる暴言の数々。

それでも次の週に本人に会えば「おはようございます!今日もよろしくお願いします!」

こわっ!!切り替えが大人すぎる!!

裏では人格に及ぶところまでボロクソ罵っていても本人に会えばきちんと丁寧に接する。それが社会を生きる大人だよ。
そう言われればそのとおりなのだが、そんな滑稽な姿を見て誰が憧れますか?どう考えても素敵な人だとは思えない。

綺麗事かもしれないが、それなら裏で人格に及ぶまでボロクソに叩きまくるのはやめたほうがいい。
裏で少し文句を言うくらいなら何とも思いませんが、何事にも限度はあります。
あそこまできっちり裏表を切り替えられる人は基本何でもありなので、ルールもマナーもなければ仁義も通さない。

そんな平然とウソをつける人たちは何かトラブルが起きれば他人に責任を押しつけることなどいとも簡単。
ウソばかりついて生きる人にとって誰かを差し出すことなどは通常営業。
いざとなった時の手のひらを返すスピードは異常に速く、その変貌ぶりも常軌を逸している。

ウソをつかれて、ウソに疲れて、ウソで塗り固めた人間の念に取り憑かれた。

その結果、確実に分かったことが一つ。
どれだけ巧妙なウソであっても、ウソは"その場凌ぎ"でしかないという真実。

ウソは少しずつだが確実に見えないヒビを入れている。
ウソにウソを積み重ねていくとジワジワとミリ単位にヒビが広がっていき、いつかパリン!!と大きな音を立てて割れる日が訪れる。

一度割れてしまったモノをくっつけることは永遠にできない。

時折、「ウソをつくならバレないようにウソをつけ」と講釈を垂れる人がおります。

何となく大人っぽいし正論っぽい。

でも、その大人の正論っぽい意見は端的に言って浅はか。完全なる利己主義だと言わざるをえない。

ウソをつく側の人生だけに重心が偏っているから「ウソはバレるな!」と言えるのだ。

ウソをつかれる側にも人生があることを忘れている。

大切なのはウソをつく際のテクニックや心意気ではなく
ウソをつかれている側の人生を想像する気持ちだ。


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