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熱心なお笑いウォッチャーは間違わないでほしい

不思議で仕方なかった。
なぜ、熱心にお笑いを観ているお笑いウォッチャーほど間違ってしまうのか。

あんな詳しいのに…
あんな観に行ってるのに…
あんな応援してるのに…

お笑い評論家?なる肩書きをつけて文章を書いている人や、Twitterでお笑いライブの感想等々を常々書いている人の考察や意見は1番大切な部分をいつも間違えている。

足しげくお笑いライブに通っているので相当好きなのは分かる。
しかし、かなり良い年齢をしているであろうお笑い大好きオヤジが、なぜ大切な部分を間違うのか?
人生の経験値もそれなりにあろうかというお笑い好きが間違ってしまう根源…

それは、ただ好きなだけで敬意は払っていない。

結局これに尽きる。

それは当たり前のことであって、観ているだけなのだから好きなだけで当然。敬意を払うことと好きなことは似て非なるものだ。

「いやいや、好きなものには敬意を払っているよ!」とお笑いウォッチャーおじさんは反論するかもしれませんが、趣味なので敬意を払えないのは自然なことであり、好きすぎるからこそ、お笑いに対する肩入れの仕方を間違ってしまう。

ようするに、実際足を踏み入れていないからこそ敬意を払えない仕組みであり、観に行きすぎるがあまり俯瞰でお笑いを見れていない。
大きな絵画を前のほうで見ても何の絵画か分からないのと同じ。適切な距離を保てないことは全体像が見えていないことを意味する。

この業界に足を踏み入れる前の自分のことを振り返れば、ただのお笑い好き少年だった。
ようするに、ただ好きで観ているだけ。
シンプルにテレビなどを観て楽しんでいるだけ。
もちろん責任など皆無なので言いたい放題。

しかし、足を踏み入れて2、3年もすれば全てはガラッと一変する。
大人の事情にまみれ、大組織のパワーゲームや忖度、足の引っ張り合いも目にし、日に日に本物と偽物を見極める目が養われ、そこには生ぐさいまでの掟が存在し、ギョーカイの意味不明な仕打ちも受け、もうあの頃のような気持ちには戻れない。
ゆえに純粋な心は滅多撃ちにされ、もはや昔の自分を思い出せない。

全ての景色が変わり、自分のことをお笑い好きなどとは口が裂けても言えなくなった。
お笑いが好きですか?と聞かれれば、好きも嫌いもないと答えざるをえない。
もはや、そんなことを考える発想すら消えた。
本当に心の底から分からない。

無邪気に好き勝手言えた頃は懐かしく、熱心なお笑いウォッチャーが羨ましくも見えてくる。
しかし、間違っていることを彼らは知らない。
趣味なので、別に知らなくていいのだ。

観光で行ったことのある海外や南国に永住したいと憧れる人はいるが、実際に何年も住んでいる人からすれば憧れとは程遠い現実もある。
理屈はそれと同じであり、リアルを知らない人は外から観た印象だけで全てを語れてしまう。

だからこそ、ここで書いている私の言葉は
お笑い大好きウォッチャーとは真逆に位置している。

実際に足を踏み入れ、様々分かった上で、それでも書いているのだ。
それが何を意味するのか?
プロだから黙っておけ!というのが当たり前の世界であり、賢く無難に生きることが簡単なのは知っております。

しかし、本気と本音は紙一重であり、私は嘘をつかないと決めている。
嘘ばかりつくことは時に気持ちを濁らせてしまい、心が不健康に蝕まれてゆき息苦しくもなっていく。
「そんなもんだよ」と大人っぽく言いながら二枚舌を駆使して小器用に世渡りする自分では恥ずかしい。
そう思わざるをえないほど強烈な出来事にも遭遇してしまい、人間が見せられる裏表の限界を誰よりも知った自分だからこそ言える言葉もある。

この場で熱心なお笑いウォッチャーに釘を刺すことも本音の一部であり、ここには身も蓋もないリアルが詰まっている。
先述した通り、敬意を払えていないから間違ってしまうのだが、趣味なので敬意を払う必要まではない。
しかし、リスペクトを忘れたまま人を傷つける行為となれば無視できない。

敬意を払えず中傷するくらいならば最低限黙っておくべき。いや、家で言っとくべき。
敬意は払えなくともマナーくらいあることは知っておいてほしい。
ネットは落書きではなく公共の場所だ。部外者であっても人を傷つける行為にはそれ相応の責任は伴う。
意見は構わないが、中傷となれば話は変わる。

もしやるなら、実際に足を踏み入れてから書くことをオススメする。
その上で書く言葉は本音であり本気であり、様々人には言えない何かを背負った上でのメッセージが込められ、自ずと言葉に重みが生まれる
それなりの覚悟と信念がなければ実体験と真実を下地にした本音は書けないからだ。

とりあえず、本人を目の前にしても直接言えることしか書いちゃダメ。お笑いウォッチャーもそれをルールにしておけば大きく間違えることはないだろう。
ちなみに私は本人に直接言えることしか公共の場では発信しないと決めている。

それより何より
お笑い大好きオヤジは私が手がけている作品も度々観てくれており、よくお褒めのツイートをしてくれている。しかも、私が考えたネタの部分を褒めてくれることがとても多く、それは素直に嬉しい。
あれを理解できる感性があるのなら、1番大切な部分を間違い続けたらダメでしょ。

変な肩入れせず、一歩後ろへ下がってお笑いの世界を広い視野で観る癖をつければ本当の意味でのリスペクトを理解できるのでは?

来月、おそらく彼はホールに足を運んでくれる。
自称評論家には負けられないので、たくさん笑ってもらってお褒めの言葉をいただけるように頑張ろ。

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