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【無料】ホンマにオシャレな人は鏡を見ない

以前、ある若手漫才師と漫才論を語り合っていた時、こんな話題になったことがある。

とにかく、お客さんを笑わせることが正解なのか?
お客さんに合わせることなく面白いことを突きつめるのが正解なのか?

なかなか明確な答えを絞りきれない禅問答であり、自分の中に持論はあろうとも、「人それぞれ」という世界一中身のない結論に大抵行き着く。

もちろん、客に合わすことなく面白いことを突き詰めてたくさんの人を笑わせることが正解なのは誰にでも理解できますが、それが一番難しい。

いわゆる「客ウケの良さそうなネタ」と呼ばれるものが有りますが、これは表裏一体。
客こそ笑っていてもプロは笑わないものもあり、そこの評価は容赦なし。

ただ、お笑いにせよ音楽にせよ映画にせよエンターテイメント全般は一般の人に向けている。
お客さんさえ喜んでくれれば、ビジネスとしては成立する。
当然、その逆はビジネスとして成立しない。
玄人だけが評価している世界は「マニアック」「世界観強め」などと呼ばれ、日の目を見るケースは少ない。

ゆえに、お笑い賞レースにおいても「視聴者投票にするべき!」という意見も後を絶たない。
全ての芸事は一般の人に向けているのだから素人が審査するべきだと。

理屈としては間違っていない。
たしかに、プロの表現活動は素人に評価されるものであり、大衆を相手することがエンターテイメントにおけるマスの論理である。

しかし、"玄人ウケ"を捨てた瞬間が終わりの始まり。

途端に話は変わりますが、私の家から最寄り駅までの道のりがあり、電車を使う際はボーッとしながら駅まで歩くが、最寄り駅までの間にちょっとした商店街がある。

駅までの道すがら、私の前を歩く男性に対し「おお、オシャレに気を遣ってそうな人やなあ…」と何気なく感じる時がある。
最新のトレンドを意識し、明らかに服が好きそうだとパッと見で分かるファッションに身を包んでいる男性。
そういう人たちに100%当てはまる法則がある。

その商店街に並ぶ一角のショーウィンドウが大きな鏡になっており、通り過ぎる時に自分の全身姿を映し出す一瞬…
彼らは絶対に自分の全身コーデをチラッと確認するのだ。

ファッションに気を遣っているので本日の自分のコーデが気になることは、とても分かりやすい現象。至極当たり前のことである。

逆に「この人はオシャレに無頓着なんだろうな…」と思える人は百発百中でショーウィンドウに映る自分の姿を全く見ない。
ようするに、服に気を遣っている人は鏡をチラ見して、服に無頓着な人は鏡の存在にすら気づかない。
何日も何日も駅までの行き道に小姑ばりのチェックを重ねた結果、この何の役にも立たないデータは生み出されました。

しかし…先日、ガチンコのオシャレ人を駅までの道すがらに発見してしまい、偶然にもその人の真後ろに私はポジションを取っていた。

ガチンコのオシャレ人とは、トレンドに敏感な服好きな人たちとは明らかに一線を画す。
ガチンコのオシャレ人とは、自分を客観視しながら正しい自己分析をしつつ、何にも影響されず肩肘も張らず自分の好きな服をサラッと着こなしていることを指す。

結果、服に着られない人になる。
自分を分かっており、自分の好きなものが明確にあり、自分の選ぶものに自信があるからだ。

さながらオダギリジョー である。

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私の前をスタスタ歩く通称オダジョーは、ショーウィンドウに映る自らの姿を果たして見るのか見ないのか?
少しドキドキしながら真後ろから見守った結果…

オダジョーはショーウィンドウに映る自分の姿を全く見なかった。
服に無頓着な人と全く同じようにピクリとも首が動かなかったのだ。

その後ろで私は勝手に衝撃を受けていた。
ホンマモンのオシャレは人目を気にせんのかい…と。

そして、気がついた。
オシャレも突き抜ければ自分のことをオシャレとさえ思わないのだと。

これは他の何かと似ていることにも気がついた。
突き抜けて売れ切ったタレントと、中途半端に間違って売れてしまったタレントから受ける印象である。

いわゆる飛び抜けたレジェンド級の人たちは総じて腰が低く、自分たちのことを凄いと思っていない。
「いやいや、めちゃくちゃスゴイっすよ!」と言うのは周りであって、至って本人はスゴイと思っていない。

これは私の予測だが、本当に実力のみで戦って勝ってきた人ほど、山の頂に辿り着くまでの過酷なプロセスを肌で知っている。
常に真正面からリング上で殴り合いをし続けたがゆえ、その裏に流れる痛みも理解できる。負けることの悔しさも、人に裏切られる恐さも知っている。
乗り越えてきた道が茨すぎるがゆえ、調子になど乗れるはずもないのだ。

その反対に、いきなり間違って中途半端に売れてしまった人が調子に乗ってしまう理屈は推して知るべし。
売れることへの有り難みと、鬱屈した人間への配慮に欠けるのだろう。

さあ、冒頭に戻りますが…

笑いの世界も玄人ウケを捨てたら終わりが始まる。

自分の笑いを突きつめずに合わせ続けた結果どうなるか?
プロからの評価を気にせず、その時その時で利用価値のある人に迎合してばかりだとどうなるか?

笑わせることを諦め、自分語りが多くなりすぎる。

「今の時代は…」「未来のエンタメは…」
「テレビは…」「YouTubeは…」「戦略としては…」

若い頃はフレッシュさで乗り切れてもキャリアを積めば素人からも笑ってもらえなくなり、最終的には自らを正当化するための「語り」だらけになってしまうのだ。
チラッチラッとショーウィンドウを見るように、時代の顔色ばかりを伺うことになってしまう。

スキルの差や好みもあるので絶対に笑わせる必要はないのだが、自分の力で笑わせようという気持ちがなければ真人間のハートは掴めない。

情弱や無知な若者を騙していても、まともな大人からは全てバレている。
自分語りでごまかす手法も、したたかな調子の良さも、全て見透かされており、まともな神経を持つ人からはボコボコに叩かれる。
あまつさえ自分の力で笑わせようとしない志もこぼれ落ち、同業者からも鼻で笑われてしまう。

まともな大人を相手に立ち向かわなければ、体裁を取り繕うしか道がなくなってしまうのだ。

自分の好きなものをチョイスして服に着られない人が真のオシャレであるように…
どうにかして笑わせようと躍起になりながら魂を売らない生き様が真の芸人である。

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