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YouTube セミプロが最強説

もはや当たり前のように1つの主要メディアとして確立されているYouTube。
元々は素人たちが自ら撮影や編集した動画を投稿してきた歴史があり、それがいつしかユーチューバーという職業になった。

そして、YouTubeチャンネルを開設することは芸能界で生きるプロにとっても当たり前となり
コロナ禍を経て、その動きは加速し
今では1つの表現の舞台として定着している。

それ自体はメディアのありかたやスマホ文化などを踏まえて自然な流れだとは思いますが
数字的に成功を収められるかどうか?
その一点に関して、知名度や人気や面白さが関係しているのかと言われれば…

なぜか、驚くほどに関係がない。

おもしろければ数字を稼ぐわけではない。
知名度や人気だけで伸びるわけでもない。

この件に関しては様々な人が様々な見解を出しているとは思います。

いわゆる『認知』と『人気』の違いなどが散々言われてきました。

ようは、幅広く認知されている知名度の高い芸能人でも、本当に人気がなければネット上の数字には結びつかないと。

言わんとするところは分かりますし、理屈上は理解できますが、実際は違うだろう。
理論上は分かりますが、いくらなんでも計算が単純すぎる。
そんなはずがない。

この話には、もっともっと奥があるはず。
少し真剣に考えてみた結果…
なんとなくの答えが見つかりました。

もちろん、ただの持論ですが
これまで見てきたものや実際に触れてきたものの情報や分析を元に、そこから紐解いた説を文に落とし込みます。

まず、タイトルにもあるとおり
結論から言えば
YouTubeをやるならセミプロが最強です。

アマチュアでもプロでもない。その中間。
YouTubeはセミプロが数字を伸ばします。

アマチュアが数字を伸ばせない理由は分かりそうなものですが、一線級のプロもYouTubeにおいてはセミプロより数字を伸ばすことは難しい。

もちろん
圧倒的すぎるスキルや人気を持っていれば話は別です。

ひたすら様々な授業を行なって登録者数300万人超えを果たしたオリエンタルラジオの中田さんや、誰の人気も利用せずノーコラボで登録者数100万人を超える霜降り明星…
爆発的なカリスマ性と普遍性を兼ね備える、とんねるずの石橋さんや江頭2:50さん…
画面に映っているだけで最強の本田翼さんなど…

もう、このあたりはプロの中でも完全なる別格として考えさせていただきます。

もし、ダウンタウンの松本さんがYouTubeチャンネルを開設すれば1ヶ月くらいで300万人登録くらいはいくでしょうし、一流のプロの中でもそういった異次元レベルの例外もチラホラありますが…

それでも
基本的にYouTubeという媒体においてはセミプロが1番強い。

まず、セミプロの定義…
諸説あると思いますが、芸能の世界で言うセミプロとは
『プロの世界では通用しないが、アマチュアの中に混ざれば頭1つ抜けられるレベル』

ようするに、スキルがアマチュア以上プロ未満であること。
アマチュアと絡んだ時に限り主導権を取れて、その場を制圧できる。それが笑いの世界におけるセミプロ。

ちなみに、ここから綴る文は現段階の話です。
これからもメディアの勢力図や立ち位置に変化が生まれますので、あくまで現時点において
YouTubeという媒体で戦うにはセミプロが最強だということです。
今現在のYouTubeの数字だけにフォーカスすれば、プロよりもセミプロが勝ちます。

では、ここからが本題。

なぜ一線級のプロがセミプロよりYouTubeでは劣ってしまうのか?
なぜ、セミプロが最強なのか?
普通に考えて、表現の舞台において
プロがセミプロに負けることはありえないのに…なぜ?


そこの理由を細かく解析していきます。

大きく分けて、理由は2つ。

1つ目の理由は

一流のプロになればなるほどスイッチを切り替えて本番に挑む。

オンオフの切り替えという言葉がありますが
実は超一流のプロになればなるほど、ここの線引きがキッチリされている。

オンとオフの切り替えを感じない人ほど、プロのステージで輝くことが難しい。
裏で醸し出す空気と本番で醸し出す空気がほとんど変わらない人は、なぜか力量不足の人が多く、これは不思議なくらい芸能の世界の常識として定着している。

超一流は
カメラの前に立つ瞬間…
ステージに飛び出していく瞬間…
スポットライトが当たる瞬間…
突如としてプロの顔に変化する。
バチン!!!大きな音が聞こえるほどにスイッチが切り替わる境目が分かる。

整ったステージがあってこそ芽生えるプロ意識。

きちんと楽屋があり、本番まで士気を高め、現場にプロの世界の空気が充満し、スタッフがいて、セットが用意され、オフモードから本番に切り替わった瞬間にプロの勝負が幕を開ける。

超一流は
そのプロセスを経て、ようやくプロとしてのパフォーマンスを発揮する。
超一流になればなるほど
舞台が整わなければ、本気モードを出せないのだ。

伝わっているか不安なので、他の例を出すと…

ボクシングの世界チャンピオンに飲食店で偶然遭遇して、「チャンピオン!ここで本気のボクシング見せてくださいよ!」とファンがお願いしたところで、本気のボクシングは見せられない。

仮に、その飲食店にボクシンググローブがあろうと、対戦相手が目の前にいようと、本気は見せられない。
真のプロボクサーほど試合のリング上以外で本気を見せることは難しい。
試合当日まで意識を高め、会場にきちんとリングが用意され、減量をクリアした2人が向かい合い、観衆がいて、ジャッジがいて、ゴングを鳴らしてもらう必要がある。
舞台が整っていなければ、本気のパンチは繰り出せない。

理屈はこれと同じ。
自分の家のリビングでカメラを向けられて
「さあ!始まりました!!」と、本気で頑張るのは一流のお笑い芸人には難しいのだ。

しかし、YouTube撮影と言えば
家のリビングなど、プライベート空間でカメラを回すのがスタンダードな形。
整った舞台ではなく、サッとカメラを回せば、それはもう本番のスタートだ。

そういった簡便性においてYouTubeはとてつもなく優れている。
どこでも撮影できて、すぐに編集して動画をアップする。そのスピード感は最大の武器だ。

しかし、この簡便性こそがスイッチの切り替えを必要とする一流のプロと相性が悪い。

「プロなら場所や環境など関係なくスイッチを入れるべきでは?」
そんな意見も飛んできそうだが、実際その意見は真逆に当たる。

一流のプロほど、場所や環境を選びます。

ここだけは絶対に勘違いしてはいけません。
プロとYouTubeが交わったことで、様々な勘違いを生む場面は明らかに増えました。

「ユーチューバーを下に見るなんて時代遅れ」
昨今、こういった類の勘違いも生みました。

それにまつわる掘り下げに関しては、こちらの記事を参照してください。無料記事です。

セミプロは、プロの中に混ざったとき通用しないが、アマチュアに混ざったときに輝いて見えると冒頭で言いましたが…
そのレベルの丁度良さもYouTubeに適している。

言い方を変えれば『軽さ』
存在感や言葉が絶妙に軽く、玄人からは一目置かれない芸だったり、審美眼のある大人からは簡単に見破られそうな空気感。

まさに、それくらいが経験値のない若者やセンスのない人からすれば『丁度良いレベル』

だいたい、この丁度良いレベルの人が、本番と裏でのオンオフを感じさせない。

オンオフを使い分けないということは…
家のリビングでも本領発揮できる。
オンとオフに境目がないので、当然のことと言えば当然のこと。

家のリビングや飲み屋さんなどで見せる姿が
カメラ前に立った時と変わらない。

だからこそ、YouTubeで全力を出せる。
いや、むしろYouTubeのほうが全力を出せる。

セミプロが最強というよりは
本気を出した時のセミプロが最強。
片手間なセミプロが数字を伸ばせるほど甘い世界ではない。

YouTubeで見せるセミプロの本領発揮こそ
超一流のプロを凌駕してしまう。

武道館で大観衆を前にして歌うのと、カラオケボックスで歌うのは違います。
武道館で高いパフォーマンスを披露できる人が一流のプロで、カラオケで誰よりも力を発揮できる人がアマチュア。

そのアマチュアとプロの間に立つ丁度良いスキルがYouTubeと抜群の相性を見せます。

以前、音声メディアについて書いた記事で
「テレビで通用しないのは、一方通行させるには実力不足」
そんなことについても軽く言及しておりますが
まさに、そのとおりなのです。

こちらの記事に詳しく書いておりますので、お時間がある時にでも読んでください。無料記事です。

セミプロはプロの世界で通用しないことを自覚しているがゆえ、あらかじめ一方通行させることを諦めている。

誰に何を言われようと、強引に一方通行させてきたのが一流のプロ。
こっちからお客さんに寄っていくのではなく、お客さんをこっちに引き寄せてきた。

この力技を繰り返してきた歴史こそがプロがプロである所以。

しかし、YouTubeというのは双方向メディアでもあり、視聴者側に寄っていこうと思えばどこまでも寄っていける。
しかも、歩み寄っていけばいくほど視聴者は喜んでくれるので数字にも繋がる。

プロは寄っていく発想すらないが、セミプロは簡単に寄っていける。
なぜなら、真正面から戦ってもプロには勝ち目がないからだ。
それゆえ、自分がどんな武器を駆使して戦うべきか、戦略として熟知している。
この潔さこそがYouTubeにおいて、セミプロの圧倒的強さを生み出す。

逆に言えば、プロの本気はYouTubeというリング上と相性が悪い。
おもしろすぎてYouTubeというフィールドにフィットしない場合もあるが、これに関しては時代が進むにつれて変わっていく可能性は高い。

現時点においては
これまでYouTubeが歩んできた文脈を踏まえ、素人感を漂わせるのは、かなり大切。

そもそもユーチューバーの強みとは何か…?
なぜ、ユーチューバーという存在が、ここまで大きな勢力になれたのか?

それは友達感にある。
手の届きそうな身近さ。それは最大の武器だ。

本物の一線級のプロは恐い。
本当に面白い人は、気軽に話しかけてはいけないオーラが充満している。

そういった『雲の上感』とYouTubeの食い合わせは想像以上に悪い。

手の届かない超一流より、手の届く1.5流。

だから、今のところは超一線級のプロよりセミプロのほうが丁度良いのだ。


そして、プロがセミプロにYouTubeで劣る2つ目の理由。


ここからは、もう少し踏み込んだリアルな部分に言及します。


これはもはや、志や人間性の話にも近いのだが…




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