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【無料】ヒコロヒーの"きれはし"は不器用に生きる人間に捧げる指南書

女性芸人ヒコロヒーの著書「きれはし」を完読。

そもそも、なぜ購入に至ったのかと言えば…
ヒコロヒーが愚直なワードセンスで笑いを取れる女性だからである。

私は"本当に面白い人は文才もある説"を昔から唱えておりますが、やはり間違っていなかった。
少し生意気な言い回しになるかもしれないが、いつもヒコロヒーは信頼できる笑いの取り方をしている。
ハッキリ言って小賢しさがゼロなのだ。

信頼できるユーモアを持つ女性が文章を綴っているとなれば買わない理由などない。
そして、この「きれはし」という本はこちらの想像を遥かに超えてきた。

誰の人生にも起こりえるが、誰の人生にも起こりえない。

相反する矛盾を行き来しながら後悔と諦めを繰り返すことで日々の暮らしは形成されている。
その上で自分とはどんな人間なのか?
放浪の旅をすることに「自分探し」などとスタイリッシュなネーミングがついた時期もありましたが、日々生きていること自体が自分探しと同義語に当たる。

その根本は大きく分けると2つしかない。
どんなことに居心地の良さを感じ、どんなことが気に食わないか。

ここを曲げることは不可能なので、その染みつきを人は"性格"と呼ぶ。
変われないならば受け入れるしか道はない。
好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いなのだ。

ヒコロヒーは等身大のあるがままを綴っているが、そこに付随するのはセンス抜群のユーモア。

完全なる持論だが、ユーモアは人生における優先順位で相当な上位に位置している。
なぜなら、センス溢れるユーモアは他者も助けながら我が身を助けることもあるからだ。

そんな素晴らしい一石二鳥は聞いたことがない。
誰の人生も自分と他者で形成されており、その両方を助ける可能性に満ちているユーモアを軽く扱うのは愚行だと言わざるをえない。

この「きれはし」の中で「夏嫌い」を書き殴っている章などユーモアとセンスの塊である。
「どの季節が嫌いトーク」は時代を超越して定番であり、芸人も一般の人も問わず様々な人が一度は通ってきた道だと思われる。
その中でも「夏が嫌い」は王道中の王道とも言える切り口かつ手垢に塗れた主張ではあるのだが、そのクラシカルなトークテーマにおける最高値を叩き出した。

ヒコロヒーが著書の中で語る夏を嫌いな理由は、現存する「夏が嫌い」のテーマの中で1番おもしろい。
時流の切り取りと着眼点が100点。

さらにはコリドー街の章に関しては、笑えて考えさせられる人間味溢れるロングエピソードトークであり、きちんと構成を組み立てて語れば1人トークの独演会が板の上でやれてしまう内容だろう。

ヒコロヒーはコントライブだけでなく、1人トークライブもやれそうだ。
きっと深みと渋みある笑いをボカボカ生み出し、リピーター続出の名物お笑いライブになる。
文才を見る限り絶対に向いている。

自称なのか他称なのかは定かじゃないが、ヒコロヒーには「国民的地元のツレ」というキャッチフレーズがついている。
名キャッチフレーズは数あれど、このフレーズは実に見事。国民的地元のツレを完全に体現している。
あのアンニュイな空気感は地元の悪友であり、さらには痒いところに手が届く"考察芸"である。

細かい着眼点、気持ちの共有、ワードセンス。
話の合う地元のツレと言えば、大抵この3つで構成されている。
この3つにおいて圧倒的な地肩の強さをヒコロヒーは表現している。

ヒコロヒーが綴った「きれはし」には一本筋の通ったテーマがある。

人間が普通に生きていくことの厳しさと息苦しさ。

"普通"という言葉は時に難しく、ネガティブな使い方になることもめずらしくない。

「美味しかった?」
「普通くらいかな」

「楽しかった?」
「普通だった」

「普通」だと返されてポジティブな感想には聞こえない。
「普通に美味しい」「普通に良かった」という解釈の難しい言葉も主流だが、これも100%の褒め言葉には聞こえない。

日常において普通は軽んじられているにもかかわらず、普通に生きることは想像以上に難しい。
普通に仕事し、普通に家賃を払い、普通に友達と付き合い、普通に恋人を作り、普通に家庭を持ち、普通に生きていく。

何気に普通をこなし続けることの難しさ。
普通に生きられることは簡単ではなく、普通の継続とは想像以上に狭き門なのだ。

普通の世界に違和感を覚え、立ち止まらざるをえない生き方になる人だって大勢いる。
器用に世渡りできる人間を後目に、不器用な人間たちは都度都度辛酸を嘗める。

「甘え」だの「嫉妬」だの「意識が低い」だの、身も蓋もなく冷たい言葉を放たれる場合だってあり、持っていきようのない憤りが体内を駆け巡る。

だが、損な役回りをしている不器用な人間たちにしか描けない世界がある。
その世界にはシニカルなユーモアがあり、ハイレベルな人間観察があり、血の通った温度がある。

ヒコロヒーは笑いを内包しながらも不器用な人間の背中を押してくれる。
「別にええやん」と地元のツレのように笑い飛ばしてくれるのだ。

それと同時に女性がピン芸人として生き続ける儚さにも胸を打たれる。

人を笑わせることを生業として生計を立て続ける果てしなき偉業。
時に気持ち良いまでの節操のなさをあっけらかんと突きつけ、人の目を真剣に見ながら平気で嘘をつく世界で生き残り続ける無理ゲーを芸能界と呼ぶ。

勝ち上がり勝ち残ってきたレジェンドは別格中の別格だが、その熾烈極まりないレースにエントリーしているお笑い人には敬意を示すしかない。
一寸先は諸行無常の響あり、笑いで毎年の生活費を捻出することは奇跡の連続で成り立っている。

普通な顔をして普通を生きていく世界だって残酷。
1人で大衆を笑わせ生き残り続ける世界だって残酷。

抗えない世界に生きる私たちだからこそ、ヒコロヒーが切れ端に書き記した愚直な言葉に想いを馳せる。

べらぼうに多忙だとは思うが、折を見て1人トークライブをやってほしい。
国民的地元のツレは国民的女性ピン芸人になれる可能性を大いに秘めている。



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