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<閑話休題>ラグビーという地名の由来

今日から参加させていただきました。自己紹介を最初に書くのが礼儀かと思いますが、その代わりとして、過去に書いたエッセイを投稿させていただきます。要するにこんな文書を書く奴だということです。

ちなみにもう還暦を過ぎて、間もなく定年を迎える昭和のジジイです。理想とするジジイ像は、ガンダルフかヨーダですね。

しかし、早く新型コロナウイルス騒ぎが収まって、ラグビーを見られる環境になって欲しいものです。

今、「地名の世界地図」という新書を読んでいるのだが、たまたま英国の地名の項になり、そこで、ラグビー(Rugby)という地名の由来が書かれてあった。大変に興味深いので、ここで御紹介する次第。

歴史的文献を探すと、13世紀のものに、Rockeberie(ロッケベリー)やRokebi(ロッケビ)というものが見つかると言う。一方、中央アジアに住んでいたフン族が西進した関係で、北東ヨーロッパのゲルマン民族が西に押し出され(歴史の授業で教わる「ゲルマン民族の大移動」)、その結果、西ヨーロッパに住んでいたケルト民族が、さらに西のブリテン島やアイルランドへ押し出されることになった。

そのケルトの一部族であるローク人というのが、現在のラグビーの地に城塞都市として住んでいた。そこへ、スカンジナビア及びデンマークからのバイキングが度々侵入してきて、最後にはブリテン島を占領・支配することになる。

このバイキングの言葉で、ローク人をRugと称したことに加え、城塞都市を意味するbyという接尾辞を付けて、Rugbyになったそうだ。つまりは、「ローク人の城塞都市」という意味になる。

なお、英国にある地名で、語尾に、thrope、thwaite、toft、scaleが付くものは、皆バイキングによる地名だそうだ。

ご承知のとおり、現在のRugby footballというスポーツは、大英帝国が、海外植民地を経営する人材育成のため、国内に私立の中産階級子弟を対象にしたパブリックスクールを多く設立させた。そのうちのラグビーにあるラグビー校でプレーされていた原始的フットボールのルールが、現在のラグビーにつながっている。

ケルト人の城塞、バイキングの侵入と命名、海外植民経営のための学校と、その教育方法としての激しいスポーツという、様々な要素が現代ラグビーの中に凝縮されているようだ。

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