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<閑話休題>青春の思い出-サイン入り写真-

今回、最後となる日本への一時帰国を利用して、実家にある荷物の整理をしようとしたが、本棚にある書籍の多さで結局諦めた。ちゃんと整理して、自宅に運ぼうとすれば、小型トラックが必要になる。困ったな。

ところで、よく引っ越しの際に昔のアルバムなどに見入ってしまい、肝心の荷物の整理が捗らないことがちょくちょくあるものだが、今回も、生まれたころからの写真があるアルバムが面白かった。

また、私が高校生の頃、映画、特に洋画にはまってしまい、池袋の文芸坐などのいわゆる名画座によく通っていた。当時は、「ぴあ」という名画座の上映予定を網羅した雑誌が創刊されたときで、毎週(たしか最初は隔週の発刊だったと思う)「ぴあ」で見たい映画をチェックしていた。

当時は、映画雑誌が先発の「スクリーン」に続き、「ロードショー」というのもあって、せっせと毎月買っていたが、やがては映画スターの写真ばかりの内容に飽きてしまい、より専門的な「キネマ旬報」になっていった。

「キネマ旬報」には、「読者の映画評」という欄があって、私もよく投稿していた。毎回第一次選考は通過するのだが、雑誌掲載の壁は意外と高かった。一方、当時毎回掲載されていた人は、今は映画評論家として活躍しているので、評論家となれるか否かの壁だったのかも知れない。

それでも、「ディアハンター」特集で、4人程掲載されたときの「トリ」で私の文章を見つけたときは嬉しかった。ただし、この後は続かず、投稿自体も止めてしまった。結局、掲載1回という寂しい記録でした。

ところで、「スクリーン」の中に、ハリウッドの映画スターにファンレターを書いて、サイン入りの写真をもらおうというコーナーがあった。そこには、レターの宛先になるハリウッド映画協会などの住所とともに、英語の例文が載っていた。

英語が得意ではなかった私だが、高校生の私にとってハリウッド女優は女神のような存在だったので、さっそく例文を元に、高校生でもわかるような単語を使って、少しだけ自分の「色」をつけて、国際郵便で送った。

当時は、JALパックが流行していたとは言え、まだまだ海外旅行や海外の品物自体が目新しい時代だったから、アメリカに郵便を出すこと自体が、高校生の私には楽しいものだった。

そして、私の戦略的な方針として、ジャクリーン・ビセットやファラフォーセット・メジャーズなどの有名どころにレターを出しても、反応(サイン入り写真)が送られてくることはないと考えて、人気度で少し落ちる辺りを狙って送ることにした。

そうしたら、ハリウッドのファンを大切にする文化というか、もしかすると「スクリーン」の例文が良かったのか、はたまた私の「色」付けが良かったのか、意外と高い確率でサイン入り写真をもらえた。家の郵便受けに、こうした封筒がアメリカから来ていることを見つけたときは、最高に楽しい気分になったものだった。

その写真を、アルバムの中に大切に保管してあったのを見つけた。しかも、一部は封筒と一緒に。

オリビア・ニュートン・ジョン-リンゼイ・ワグナー-デボラ・ラフィン-サイン入り

上は、当時はまだ女優を始めたばかりだった、本業は歌手のオーストラリア人オリビア・ニュートンジョン。まだ清楚なイメージで売っていたときのものだ。

その下の右は、デボラ・ラフィンという女優で、まったくメジャーにならなかったが、写真のとおりに、絵に描いたような典型的アメリカ中産階級のお嬢さんという感じだ。

そして左下が、この後TVドラマ「バイオニック・ジェミー」で売れることになる、リンゼイ・ワグナー。当時は、青春映画の何本かに出演しているし、TVドラマ「ロックフォードファイルズ(ロックフォードの事件簿)」に数回ゲスト出演していた。名前のとおりのドイツ系アメリカ人で、冷たい感じがする美人だが、高校生の私にとっては、一番のお気に入りだった。

グレチェン・コーベット-サイン入り

その後、「ロックフォードファイルズ」を、主役のジェイムズ・ガーナ―の飄々とした演技が好きで毎週末に観ていたのだが、そのガーナーの秘書役で出演したのが、このグレッチェン・コーベットという女優で、日本でもそうだし、たぶんアメリカでも無名に近かったと思う。

あまり有名でないからか、彼女からはこんな大きな写真が送られてきて、さらに私の名前まで書いてくれる丁寧なものだった。

そして、これで何かお腹一杯になったのか、英語の手紙を書くのが面倒になったのか、私のファンレターを出すことは突然終わってしまった。

多感な高校時代の、古き良き思い出でした。

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