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<旅行記>ブラン城とペレシュ城

 (けっこう長文です。念のため)

 ヨーロッパは,新型コロナウイルス感染防止のための各種規制が,相当に緩和され,国境(と言っても,日本の感覚で言えば県境のようなものだが)を越えた観光旅行までが再開している。

 それで,我々老夫婦もこれまでしていなかった(新型コロナウイルスのためにできなかった)国内旅行を,今のうちにやっておこうと考えた。そして,常に旅行の主導権を握る家内の意見で,ルーマニアで最も美しいと言われるペレシュ城と,その近くにある,ブラム・ストーカーが「吸血鬼ドラキュラ」の着想を得たというブラン城の二つを見学することにした。


1.ブラン城

 ブラン城は,14世紀末に建築された,中世の居住よりも攻防を中心にした建築物で,ドラキュラのモデルとされるブラド公ツェペシュの祖父ミルチャが居住していた。また,ストーカーが「ドラキュラ」を創作する際にこの城をモデルにしたというが(フィクションであるとの説もあり),現実の城の姿からは,ドラキュラと結びつけるのはやや強引という印象がある。

20210726吸血鬼ドラキュラ
ブラム・ストーカー「ドラキュラ」

 ところで,私が20歳の時,神話・伝説・比較文学に関心を持つ契機となったのは,当時明治大学で比較文学を講義されていた英文科の立野講師が,「ドラキュラ伝説」(レイモンド・T・マクナリー及びラドゥ・フロレスク著,矢野浩三郎訳,1978年)を講義されたことから始まる。私は,元々歴史が好きだったので,歴史の中で作られる真実と伝説とが融合する面白さを,この研究書を元に興味深く教えていただいた。

 その中で,ドラキュラのモデルとされるブラド公と関連付けられている(それは,まさに伝説が作り出される課程と重なる,人類の持つ想像力の賜でもあるが),ブラン城は,日本の東京の下町に住む貧乏学生の私には,ルーマニアの奥地にある遠く遙かなる存在でしかなかった。

 そのブラン城に,42年後にして訪問する機会が得られた。この僥倖とシンクロニシティー(意味のある偶然の一致)を,私はとても貴重であると思い,またその必然性を十分に満喫したいと思った。

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 今回の旅は,観光旅行客を相手にしている英語を理解するハイヤーを,ルーマニア人から教えてもらって利用した。運転手の名前をマリアンというので,最初女性かと思ったら,ルーマニア語で男性はマリアン,女性はマリアナというそうだ。そういえば,東京オリンピックに出ているルーマニア選手の中にマリアンという男性がいた。

 その運転手が,早い時間帯にブカレストを出発しないと,土曜という旅行客が多い曜日でもあるので,激しい渋滞に巻き込まれて時間を無駄にしてしまうという進言があった。私たち老夫婦は早起きは気にならず,またサマータイムで6時には陽が昇るから,6:30の出発時間で調整した。当日は,時間通りに来た車に乗って,早朝の清々しい空気の中,ブカレストの都会を離れ,両側にひまわりやトウモロコシを植えた畑がある田舎の風景の中を,100km超で悠々と走行して行った。さすがにメルセデスベンツ400は乗り心地が良い。

 最高気温30度を超す真夏でも,早朝の時間帯は涼しい。さらに途中小雨が降る時もあった曇天の中,車は西北かつ高地へ向かっていくため,途中休憩したガソリンスタンドで降りた時は,気温17度で,半袖ポロシャツでは肌寒いくらいだった。そして,このガソリンだけでなく,簡単な飲食とトイレを備えたスタンドには,既に大型バスが1台停まっていて,中には登山するような格好をした人や,半袖の夏服の他に長袖の厚着をしている人がいた。この辺りの温度感覚は,正に個人主義というか,人によって極端に違う。

 そうこうする内に,車は古い町並みが残るシナイアを通過する。右側に見えた石造りのビクトリア朝風の駅舎は,周辺に何もなく,列車の本数も少ないようだ。線路脇に,埃を被った1920年代のメルセデス風の黒い車が放置されていて,さらにその近くにデフレクター(排煙板)のない,1920年代に多く見られたドイツ製と思われる蒸気機関車の姿があった。これらを整備してきちんと展示すれば,多くの参観者が来るだろう。そして,写真を撮らなかったことが今になって悔やまれる。

 道は,河に沿った鉄道線路を左に見ながら快適に進む。線路の背景には東欧の森と小山が広がり,そこを長い貨物列車が通過していった。その姿は,絵画のような美しい構図と色彩だったが,乗車中では,写真撮影をするチャンスはない。ここも映像を残せなかったことを後悔した瞬間だった。

 やがて道は,箱根のようなジグザグに曲がりくねった登りと下りを繰り返し,小さな街の駐車場に着いた。この辺りの家の作りは,スイスアルプスの麓にあるような外壁にX型に板を貼ったものが多い。雪の多い高地という環境と(ボヘミア出身である)ハプスブルクを中心とした文化の影響を感じる。「ドラキュラ」の主人公ジョナサン・ハーカーは,ロンドンから列車を乗り継いで,ウィーン,プラハ,ブダペストを経由して,漸くトランシルバニアに到着したが,私たちは,駐車場から徒歩5分で,もうブラン城の入り口にいる。

 城の麓にある土産物屋を通り,ゲートに着いた。カードも使えるというので,一人45レイ(約1,300円)を支払う。そして,綺麗に整備された庭を見ながら,城に向かう狭い石畳を歩く。中世の庶民や兵士たちは,こうして城に向かったのだろう。

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城に向かう石畳の道

 城は,よく紹介される映像は遠くからのものであるため,下から見上げるとあまりイメージがわかない。ただ,いかにも中世の戦闘に備えた城であることがわかる。この壁の上にある二つの穴は,ゴミ捨て用にも使えるのだろうが,やはり壁を登ってくる攻撃側兵士に,石などを落として防衛するためのものだと思う。

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下から見た城壁

 入口を入るとブラド公や他の城主と見られる君公のパネルが紹介されている。そのなんの価値もないただのパネルに,酷く興奮しているのは,やはり「ドラキュラ伝説」でこの画像を見たときの気持ちが蘇ってきたからかも知れない。

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入口近くのパネル

 中は,今より人の体格が小さかった中世に合わせて,室内の天井,らせん階段,ドアの高さなど,170cmの小さい私すら,少し窮屈に感じるほどの狭さが続く。そして,質素な作りの暖炉や木製家具が展示されている。調べたら,これらを復刻するのに日本の専門家が援助したそうだ。

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ある室内の風景

 途中,ドラキュラ映画をそのまま紹介したようなホログラムを使ったホラー風の小部屋が2~3あった。私たちは関心がないので,スルーした。また,この手の場所には実際に悪霊が住み着きやすいので,近づかないほうが良い。そういえば,ハイヤーの運転手が以前乗せたアメリカ人の客は,ブラン城に着く前に,十字架とニンニクを買い求めたそうだ。アメリカは,プロレスショーに興奮するような,単純な人が多いと思っているが,ドラキュラ映画の影響は相当に大きいのだろう。ちなみに,私のスマホの待ち受けは,ミケランジェロのピエタ(実際にバチカンで撮影したもの)になっているので,魔除けについてはまったく心配していない。

 そうこうする内に,見晴らしの良い中庭に面した部屋に着いた。ここから見る映像が一番美しいと思う。中世の時間に触れた感覚になるような,良い風景だ。そして,今はこの城を巡って戦うこともない。また下界には森に囲まれた観光施設がある。観光できるということは,平和と同意義であることを実感した。

 観光を終えて,城の狭い石段を降りて行くと,入れ替わりに大勢の観光客とすれ違った。「早起きは三文の得」という諺を,思わず口ずさんでいた。

2.ペレシュ城

 ペレシュ城は,20世紀初頭に完成したドイツ・ルネサンス様式の建築物で,クリムトの絵や伊万里焼,さらに多くの銃剣類などを含む,財宝の数々が展示されている。建築させたのは,当時の国王カルロ一世だが,完成後すぐに亡くなったという。

 私たちの車は,やってきた山道を再び下って,登る。なぜか急にノロノロ運転になってしまい,運転手の機嫌が悪くなる。想定したより長い時間がかかって,ペレシュ城に行く道の分岐点に着いたとき,そこに警察官がいて交通規制をしていた。理由はよくわからないが,ペレシュ城に行く人数を調整しているのかも知れない。ルーマニア人の慣れた運転手は,ルーマニア語で警察官に話しかけ,問題なくペレシュ城に向かった。

 城までは,長く広い石畳を登る。途中の駐車場で車を降りて,私たちは城に向かった。5分ほど歩くと,右側のよく手入れされた広大な庭の向こうに美しい城の姿が現れた。近づいてから感じたのだが,この辺りから見るのが最も美しいように思う。

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ペレシュ城の遠景

 道は,途中で大きくUターンして,城の入口に向かう。途中,古風な石造りのカフェがあった。立ち寄りたい誘惑があったが,これは見学した帰りに寄ることにして,城に向かう。ブラン城よりは最近に作られ,また観光客も多いはずなのに,ここの参観料はカードが使えない。しかも,1階だけの見学は40レイ(約1,000円),2階も見るなら追加で40レイということで,我々は80レイ(約2,000円)をキャッシュで支払って入った。

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中庭の風景

 中に入ったら,係の人が「写真撮るならさらに35レイを支払う必要がある」というので,金額ではなく,その面倒臭さから撮影は諦めた。でも,撮影しなくても良かったと思う。なぜなら,最近まで人が住んでいたせいか,この城の中の家具やモノには,霊がついているのを感じたから(鬼太郎みたいに,髪が逆立った?)。

 城の内部は,19世紀後半から20世紀初めに大金をつぎ込んで王様が作ったお城らしく,金銀宝玉がちりばめられた家具,鏡,壁の豪華絢爛な装飾が満載だ。しかし,絵画などの保護のためもあり,カーテンを閉めていることから,室内はかなり暗い。また,絨毯や壁が暗めの色調であるため,明るいのが好きな日本人としては,よけいに暗さを感じる。

 また,財宝の他,様々な王族同士の交流で交換したのだろう,古い剣,銃,甲冑(馬用もあった)が,これでもかと多数飾られている。その全体は,戦闘用に作られた中世のブラン城にこそ相応しいと思えるほど,銃剣類がそこら中に多数あって嫌でも目に付くものだった。しかし,この城は戦闘用ではなく,王族が優雅で贅沢な生活をするために大金を掛けて作り上げた,いわばディズニーランドのようなものとも言える。事実,20世紀初めという建設時期からして,戦闘には使われず,居住用だったそうだ。

 そういうわけで,室内の画像はない。負け惜しみではないが,撮影したいと思うような図柄はなかったと思う。100年前の王族が暮らしていた雰囲気を肌で味わうだけで十分だと思った。ただし,庭については撮影制限はないので,王様の像を中心に撮影してみた。

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庭園のカルロ一世の銅像

 そうして見学を終えて,さっき通り越したカフェでランチにしようと思ったら,残念なことにドリンクしかないという。それで,この美しい風景を楽しみながら,ビールを飲んだ。

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カフェからの風景

 一杯飲んで気分が良くなった後,駐車場にあるホテルのレストランで,ルーマニア名物のミチ(シシケバブのようなBBQ料理)をつまみに,またビールを飲んだ。

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ミチなどのランチ

 サマータイムのため,明るい時間帯だったが,明日も仕事が入っているという運転手を気遣って,帰路についた。時間をずらしているためもあって,ブカレストに戻る道では,ほとんど渋滞せずに走行できたが,反対車線は渋滞が多く見られた。やはり「早起きは三文の得」なのだろう。

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