甲子園のなかった一年を考えてみた
僕の息子、チビは、春から大学生となります。
今は高校3年生で、この夏までは、野球をやっていました。高校球児でした。
甲子園に行きたくて、県内でも強豪と言われる高校に進みました。特待などてはありません。一般生です。入試を受けて、野球部の扉を叩きました。
いつもベンチ入りギリギリの当落線上にいて、最終的に漏れていました。
3年生の春。
コロナが世界を襲いました。
春の大会が無くなりました。
夏の選手権もなくなりました。
目指していた甲子園もなくなりました。
でも、チビは、ずっと野球をやっていました。
学校が休校になった時も、家の近くのチームメイト何人かと、近くの公園で野球をやってました。
近くの砂浜でトレーニングをやってました。
夏は、代替大会が開催されました。
それで、その大会で、チビの高校野球は終わりました。
でも、その後も、チビは、野球をやっていました。
今もチビは、野球をやっています。
毎日毎日、砂浜でトレーニングしたり、チームメイトとキャッチボールしたりしています。
大学でも、野球をやると言っています。
高校球児って、甲子園がなくなっても、野球をやるんです。
この一年を見てきて、僕はそう感じました。
チビだけではありません。
チビのチームメイトみんな、甲子園がなくなっても、夏の選手権がなくなっても、野球を続けていました。
甲子園って、なくても、高校球児は、高校球児でいられるんだと、僕は思います。
多くのチームメイトは、大学でも野球を続けると言ってるそうです。
それはひょっとしたら、
甲子園がなかったから
かもしれません。
甲子園がなかったからこそ、まだまだ野球に対するモチベーションが保たれているのかも…
そんなふうにも感じています。
いち高校野球ファンとしては、夏のイベントとして、夏の甲子園はあった方が良いということなのかもしれません。
でも、高校で野球をやっている、いち野球部員にとっては、もしかしたら、甲子園って、無くったって良いのかもしれません。
少なくともチビを見ていて、僕は
高校球児に甲子園はマストではないのかも
と、思いました。
甲子園がなくても、ちゃんと野球をやります。
彼らはそういう
野球選手
という
生き物
なのです。
コロナの夏、全国の各県で大会が開かれました。
それで充分なのかもしれないですね。
甲子園を見るのではなく、その先を見る。
だって、野球が上手くなりたくて野球やってるんです。野球って、続ける限り上手くなる。
そう考えると、続けるということを考えると、上手くなるということを考えると、今の高校野球は、
甲子園というのは終着駅
になってしまってるという部分もあるのかもしれないです。
甲子園
全国大会
それ自体について、必要性、在り方、そして部活動ってなんなのか?ということを、ちょっと立ち止まって考えなさい。と、コロナが教えてくれたのかもしれません。
そんなことを考えました。
以上でーす。
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