写真の講評の危うさと講評力の鍛え方
僕がやりたいことの一つに、写真の講評会があります。
他者の客観的な視点から講評してもらう、ということは写真をより良くしていくために大事なことTOP3に入ると思います。
自分だけでは気づかない点を指摘してもらうことで、作品を磨き上げ、新たな視点や表現の可能性を広げることができるからです。
今はChatGPTを使って写真の講評をしていますが、どうしても画一的な感じがするため、より多くの意見を聞きたいという思いがあります。
しかし、講評には危うさもあります。
それによって講評会の開催を躊躇してしまっています。
講評=感想になってしまう可能性がある
アドバイスになってしまう、あるいはそのアドバイスが間違っている可能性がある
講評での内容をどこまで受け取るかが難しい
ということです。
そしてこれらを避けるために一番大事だと思ったのが、
「相手の意図を言語化されていないところまで感じ取って言語化する」ということです。
そしてこれが講評力の正体じゃないかと思っています。
仮に講評会をしなかったとしても、自分の写真を講評するのに役立てば幸いです。
一つづつ見ていきます。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?