【KYOTOGRAPHIE振り返り】常に実験をする重要性【川田喜久治編】
KYOTOGRAPHIEの振り返り、2回目は川田喜久治さんです。
(日本人かつ生きてる人だと「さん」付けたくなる)
作例などは載せないのでどちらかというと展示を見た人向けの考察ですが、
Xにたくさん上がってる写真を見ながらKYOTOGRAPHIEに行けなかった人にも楽しんでもらえたらと思います。
見た展示はシリーズ化して全部書くつもりなので、もしよければフォローしてください!
そして是非コメントやXでのDMでも良いので語りましょう。
人物などの概要
御歳91歳の生けるレジェンド。
元は商業フォトグラファーでしたが1959年に写真エージェンシー「VIVO」を立ち上げ、1965年に「地図」を発表。
その後も作品を作り続け写真集も展示も多数あります。
特徴的なのはInstagramに今でも作品をアップし続けていること。
「SNS映えする写真」「大衆には受けにくい写真」という言葉が霞むような写真を連発しています。
ちなみに写真集「Vortex」は鈍器並みの分厚さです。
展示の特徴
京都市京セラ美術館で、川内倫子さん・潮田登久子さんとは別ブースで展示されてました。
展示はシンプルで、THE・写真展のような展示でした。
先ほど出てきた「地図」から現在まで、いくつかのシリーズが展示されています。
数十年の年月と考えるととてつもないですね…
作品の特徴としては
ではないかと思います。
鑑賞した感想というよりは元々持ってたイメージ通りという感じです。
常に実験的な手法を繰り返す
展示を見て感銘を受けたのは「常に新しい手法に挑戦している」ということです。
それは撮り方だけでなく、フィルム現像やプリントの仕方、デジタルに移行してからはPhotoshopを駆使していたり、印刷手法も色々試してそうです。
とにかく「これどうやって作ったの?」という写真ばかりです。
(どうやって撮ったか、ではなく、どうやって作ったか、の方が適切な表現だと思いました)
そういう意味では写真集ではなく、展示を見た方がよりそのインパクトが体感できます。
絶対にどこかで見たような写真にしない
ご本人が意識しているかはわかりませんが、「絶対に普通の写真は撮らないぞ」と意気込んでるんじゃないかと思うほど、
普通の写真というか、いわゆる「うまい写真」はあまりありません。
(うまいって本当になんなんですかね…?)
うまいという評価軸では見れない、という方が適切かもしれません。
それはどこかで見たことがあるような写真は1枚もなく、
それは上記のように常に新しい新しい試みをしているからだと思います。
写真作家の人々はそういう傾向が強いですが、
例えば商業フォトグラファーであるサッセンも流石に既視感のある写真はあります(ただそのレベルがめちゃくちゃ高い)
川田喜久治さんの写真はなんかもうすごいというか、
撮り方の参考にはできない(やり方が想像できない)ような写真が多く、
コピーされない作風になってます。
やりすぎ感をさらに超えた「そういう作品感」
手法としては極端な色使いや多重露光、あるいはPhotoshopによる重ね合わせなどを多用するのですが、
狙いすぎ感がありません。
極端な彩度、多重露光は他で見るとちょっと「やりすぎ感」というか、
無意識に目立つ方向に写真を編集してると感じてしまうこともあるのですが、
川田喜久治さんの写真の編集は「写真を目立たせるため」という要素を感じません。
極端すぎて、絵を写真で作っている(写真=素材)ような印象があります。
あるいは「極端な色や複数の写真の重ね合わせがあって初めて成立するもの」というくらい突き抜けているので、
「やりすぎ/やりすぎない」といった境界線の近くではない別の軸に位置されるものだと感じるからかもしれません。
イメージの力強さと現実感
もう一つの特徴として「力強さ」があると思っています。
どの写真もインパクトが強く、それはあるがままを写すというよりは
積極的に現実を歪めているからではないかと思います。
とにかくインスタントではない、手の込んだ作品になっています。
そしてそれをインスタに頻繁に挙げているので、その写真にかける熱量が写真にも十分に伝わっています。
とにかく新しいイメージを普通じゃない方法で作る。
写真家として、一番大事なことを川田喜久治さんの展示が教えてくれた気がします。
自分に取り入れるとしたら
撮ってサクッと現像して終わり、というのはやめようと思いました。
一手間、二手間かけることを自分に課そうと思います。
あとは編集段階だけでなく、プリントでも色々と試行錯誤してみたくなりました。
そうやってうまい写真ではなく「見たことが無いイメージ」ができて初めて人様に見せようと思います。
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