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父・裕之

こんにちは。
お久しぶりです。
僕の今シーズンも終わりを迎えましたので、めんどくさくて中断していたnoteの記事作成もまたちょこちょこ始めようと思います。

今日はちょっと重め長めの話なので、それでもいいよという方は読んでいただければと思います。

今回は僕の父・堤裕之の話です。


真面目で頑固で情熱に溢れた指導者

僕が陸上競技、そして円盤投を始めたのは父からの誘いがきっかけでした。

父は北海道で高校の体育教師として陸上部の指導をしながら円盤投の選手として現役を続け、当時の北海道記録(48m50)を樹立し、日本選手権にも2度入賞しました。

そんな父から「円盤やってみないか」と誘われたのは、僕が中学1年の夏休みの時。
それから高校卒業までの約6年間、大学に進学してからは僕が投げの動画をメールで送り、電話で話をしながら同じ動画を見てやり取りをする…そんなやりかたで大学院修了まで約6年間、計12年もの間、ほぼつきっきりと言っていい形で指導を受けてきました。

僕が社会人になり、メールや電話でのやり取りをすることがなくなってからも、日本選手権やグランプリシリーズなど、大きな試合には必ず応援に来てくれました。
大学院2年の時に出場したユニバーシアードのときも、わざわざロシア・カザンまで両親ともに応援に駆けつけてくれましたね。

とにかく真面目で妥協をせず、頑固で意見を曲げず、何よりも情熱に溢れ、その情熱を円盤投と投擲競技に注いだ指導者でした。


ユニバーシアードにて両親と

その父が2023年4月21日、59歳で永眠しました。
4年ほど前に肺癌が発覚し、抗がん剤治療を続けていましたが、今年の3月に体調を崩し、快復は叶わず。


僕は23日に兵庫リレーカーニバルに出場していたので通夜には参加できませんでしたが、告別式に参加。
沢山の方々に見送られ、父も良かったかと思います。
また納骨されてからも多くの方々がお参りに来てくださったそうで、本当にありがとうございました。


説教が長い

父にはよく怒られました。

小さい頃はあまり怒られた記憶がなかったのですが、陸上を始めてからは本当によく怒られました。
身だしなみなどの生活面はもちろん、練習や投げ、試合での内容に至るまで、学校で、家で、試合会場で怒られ続けました。

試合の結果が悪いと試合後の報告の場で1時間、さらに家に帰ってからビデオを見返しながら1~2時間、何の話をしているのかわからなくなるほど説教は続きました。

社会人になってからも、結果が悪いとアレがダメ、コレがダメと言ってきて僕と言い争っていました。


たくさん受けた説教の中でも、特に覚えているのは2つ。

1つは中学2年の7月の大会で砲丸投に出場した時のこと。
1投目に自己ベストを出して「良かった良かった」と思っていたのですが、後半に3年生の先輩に逆転され最終的に3位になりました。
「負けちゃったけどベスト出たし、まあいっか」と思っていた僕は顧問の先生に報告する前に応援に来ていた両親に報告に行きました。

しかし父は僕が試合に負けたこと、試合中に部の仲間たちと喋ってばかりであまりイメージトレーニングなどをしていなかったことに怒っており、そこから説教が始まってしまいました。
そこから雨が降り出し、僕は雨の中傘も差せずに2時間以上話を聞き続けることになったのでした。
その後部の顧問の先生に報告に行った際、さすがに怒られることはありませんでした。


もう1つは大学1年の5月の関東インカレ。
僕が所属していた国士舘大学は僕を含め3人が出場。
その試合で国士舘大学の男子円盤投では初めて表彰台を独占
僕は2位になりました。
自分自身の結果としては満足できるものではありませんでしたが、チームのために良い結果が出せたと僕は喜んでいたのです。

国立競技場のスタンドにいたニコニコしている大学の部長・先生方への挨拶を終え、その隣にいた両親に報告をすると、なぜか父はメチャクチャ怒っていたのです。
「動けてない」「内容が悪い」
説教の内容はそんなような感じだったと思います。

父「全然動けてないじゃないか!今日何時に起きた!」
(試合開始は10時)
僕「(試合開始6時間前の)4時です」
父「遅い!3時に起きろ!」
その1時間の差は何なのだろうか…。
父「朝早いなら夜寝ないで出てもいいくらいだ!」
それはさすがに無茶じゃないですか…?
こんな感じで先生方やマネージャーの先輩方の横で1時間ほど説教されたのでした。
僕はこの次の試合から10年近く、どんなに試合開始が早くても開始7時間前に起きるようになりました…。

ちなみに試合後、一年生として応援の仕事があるにも関わらず、(説教のせいで)1時間ほど行方不明になっていた僕は二年生の先輩から「仕事あるのになにやってたんだ!」とまた怒られたのでした。笑


なんか文字だけ見ると告発しているように見えるかもしれません。
でも大丈夫。
実家に帰った時に毎回思い出話として酒の肴にしてますからね笑
笑えるからOKです笑

高校1年の時の僕と父

定位置

12歳で円盤投を始めてから今まで、父は観戦時には必ずサークルの投てき方向の真後ろに陣取って、撮影用のカメラを構えて応援してくれました。

今、普段なら父が見に来ていたであろう試合で、サークルの真後ろのあたりを見ても、いつもの姿がないことに少しだけ淋しさを感じます。


でも父のことですから、見えないだけできっといつもの場所に降りてきて僕の投げを見てくれているのでしょう。
そして不甲斐ない試合をしたら夢に出てきて説教してくるのでしょう。


日本選手権の取材の時に、記者の皆さんに父の話をしましたが、記事にはしないでいただけますかと我が儘を聞いていただきました。
今シーズンが終わるまでは、一緒に試合をするほかの選手たちには変に気を遣ってほしくなかったのです。
個人的な我が儘を聞いていただき、ありがとうございました。

これからは少しの淋しさと向き合いながら、まだ他にも僕のことを応援してくれる方々のためにも、頑張っていきたいと思います。



ちょっと長くなってしまいましたが、これにて今回のお話は終わりです。
面白い話ではなかったかもしれませんが、僕自身の思い出として記したいと思いました。
またね。

不定期で投稿したりしなかったりします。 気が向いたらまた見に来ていただけると嬉しいです。