絞られすぎて水が出ない雑巾って何のことですか?

昨日のnoteのタイトルに「写真を教えてください」と書いたけど、「教えますよ!」というメッセージは1通も届いていない。ボクと同じように、写真を教えてくださいと思っているのかもしれない。図星ですか? 

今日伝えたいことは、一つだけに絞ります。写真を知るためには、まず写真が何なのか知らなければ始まりません。もう散々いろんな人が考えてきて、もうこれ以上絞っても水滴は出ませんと、雑巾に突っ込まれても不思議ではないくらいのテーマです。それなのに、果敢にも、いや無謀に挑もうとするのか。簡単です、何も考えず書いているからです。

ここに1枚の写真があります。

ほら、何だかいい感じに進みそうでしょ? 今日は雨あがりの曇天の中を、「普段撮らない写真をどうすれば撮れる」かずっと考えながら歩いていました。途中お腹が空いたので、丸亀製麺でかけ小を食べました。写真は撮っていません。うどんを食べながら、写真のことを考えることもありませんでした。食べるときは、目の前にある食べ物に集中する。子どもに言うようになってから、食事中にテレビを見ることもなくなりました。目の前のことに集中することが生きることの基本であり、すべてだと思うんです。この考え方って、写真も同じですよね。

ボクが日の丸構図を愛する理由も、撮らせていただいている存在と真摯に向き合いたいからです。たとえ相手が針金であっても、それができなきゃ写真は撮れない。シャッターを押せば撮れるけど、撮影したときの記憶がない写真ほど寂しいものはない。時折、その寂しさを求めてしまうことはあるけれど。そうして、針金を見つめていると、遠くから声が聞こえてきます。

「お兄さん、ここで何してるのかな? ちょっと向こうで話聞かせてくださいね〜。」

妄想でつくりだしたお巡りさんだった。ボクは常にお巡りさんから声を掛けられたときの答えを用意している。まだ1度も声を掛けられたことがないから、うまく答えられるのかは分からないけれど、「街で写真を撮ってると職質される」という話をどこかで聞いて以来、とりあえず堂々としていれば良いだろうと思い歩き続けている。それが功を奏しているのだろう。今日も自転車でパトロール中のお巡りさんと何度も遭遇したけれど、見向きもされなかった。街人Aとか街人Bにしか見えなかったんだと思う。FUJIFILM X100Vというコンデジだから、ボクがカメラを持っていることにさへ気付いていないのかもしれない。

ここでもう一度針金の写真を載せるから、よく見てください。

先ほどと全く同じ写真です。めんどくさいからとかじゃなくて、同じ写真だけど、文章を間に挟んだことで、「見え方が変わるのか」という実験です。いかがですか? ボクの感じたことを書いてしまうと、皆さんの考える機会を奪ってしまうので、ここから先を読むときは、あなたの実験結果の準備ができてからにしてください。

ボクは以下のように感じました。

中央の針金以外の存在を注視していました。たとえば、茶色の網、ドブ川、苔、左側のシャッターみたいなもの、右手前の黒と黄色の模様。こんなどうでも良い写真なのに、見れば見るほど気になってしまいました。撮影時に意識していなかったものが見える、見えてしまう、こんなはずじゃなかった。いろんな感情が出てきます。絞られすぎて水が出ない雑巾のようなテーマでも、改めて自分で考えると、時間の無駄だったなとか、相変わらず何撮ってもいい写真やなとか、仮説を立てるのって本当に難しいよねとか、思うことは多々あると思います。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。これからも素敵な写真生活をお過ごしください。

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