2024/05/05(日) 今日も写真を撮っていた

連日の散歩で、そろそろ足が筋肉痛になるのではと思っていたけど、「気のせいだ!」のレベルなので、今日も歩けるだけ歩いていました。昨日に比べると歩いた距離が減ったのは何故かと、喫茶店に寄ったときは頭に浮かぶこともなかったけど、今こうしてnoteを書いているとテーマとして浮かんできたので、結論だけ書きます。

「もう十分撮ったでしょ? これ以上撮ってもハードディスクに眠る写真が増えるだけやし、疲れた状態で撮っても楽しくないでしょ?」

たぶんこれが答えです。散歩してて、似たような風景に午前中はときめいたのに、午後になると何も感じない時は、ボクの場合ですが、もう撮るのをやめます。撮れないと言う方が合ってるのかな。撮るときは撮るし、満足したら深追いはしない。35mmのレンズだけで4年くらいずっとスナップを撮ってると、収まりきらない風景を潔く切り取ることもできるようになるし、それでは納得できない場合は縁がなかったと諦める。

「私を撮って」という、街の声を聞き逃さないようにすること。最近はこれを意識するようにしています。画角は身体に染み付いているので、今いる場所で撮れば、どんな風に撮れるかはある程度想像できます。ファインダーを覗きながら歩いていた時期もありますが、今はそうしなくても目で分かるようになったので、怪しまれることなく街を歩けるようになりました。街を撮るときは、一般人になることが大切です。「撮ったるでぇオーラ」が全開の状態だと、街の人を不安にさせるから。

白黒写真時代は、今ではなかなか撮れないような真正面から人を写した写真がたくさん存在しています。昨日も友人と話をしたんだけど、今はカメラで撮ってすぐにSNSにその写真を掲載される可能性があるから、人は撮られることに対して良い印象をもてないんだと思う。ボクも街を歩いていて、観光客がスマホで写真を撮っている場面に遭遇すると下を向いてしまいます。過去に心斎橋でホストのお兄さんが、カメラを構えているのに気付いてピースしてくれたことがあります。すべての人がそんなことしてくれないし、レアなケースではあるけれど、そういった経験が街を撮りたいという思いに繋がっているのかもしれません。

草、傘、自転車、ときどき椅子。似たような被写体ばかり撮らせていただいてて、なんで撮りたくなるのかわからないけど、忘れられたのか、そうでないかの境界線にいるような存在に魅力を感じているような気もする。これは多分忘れられた傘。

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