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ボクに写真を教えてください

大学の卒業旅行で長崎と函館に1人で行ったときに、長い坂を駆け上りながら、Canonのコンデジでパシャパシャと階段や境界を撮っていたら結構楽しくて、同期が一眼レフを使っていたこともあり、初任給でKiss X4を購入しました。ダブルズームキットです。想像していたようなボケボケした写真がなかなか撮れなくて、単焦点レンズを付けたら背景がボケると知ると、さっそく撒き餌レンズを買って、浜寺公園のバラ園でお花をたくさん撮りました。お花が思い通りにボケました。写真簡単やんとか、言ってたかもしれません。運河でフルートを吹いていた女性に声を掛けて、ポートレートを撮らせていただくという調子に乗った行動をした記憶もあります。よくそんな度胸あったなと本当にあの日を振り返るたびに思いますが、単純に無知だったんです。知らないことは本当に罪ですね。

1年後、ボクは遠距離恋愛することになり、休日のほとんどを写真に費やしました。南船場のギャラリーに入り浸り、ハッセルを購入し、暗室教室にも通いました。写真沼は、あっという間にボクを引き摺り込んでしまいました。ボクも無抵抗で沼に沈みました。寂しさを紛らしたかったのかもしれません。沼の中で、ボクは壹燈舎の杉本さんと出会い、ギャラリーにいつも居た大先輩の方々から、写真の話をたくさん聞き、『写真ってただ撮るだけじゃないんだ!』と大切なことを教えていただきました。あのときの経験がなかったら、今ごろ写真とは縁のない生活を送っていたかもしれません。あんな風に歳を重ねて、ずっと写真の話をして生きていけたら、幸せだろうなと思っていました。日曜日は写真展の搬出後に打ち上げがあって、よく紛れ込んでお菓子などをご馳走になっていた気がします。もう10年くらい前のことだったかな。この先、ずっと写真と仲良く過ごせたら良いと思ってました。

だけど、写真はボクに次々と難題を繰り出してきます。

ボクが街で撮ろうとしている写真は、すでに偉大な写真家たちが取り組んでいるという事実を知ったとき、もうボクが写真を撮る理由はないなと思いました。写っている場所や、時代が異なるだけで、二番煎じの写真たち。今を生きる写真家たちは、どうやってそこから抜け出したんだろう。『私には写真を撮る理由がある』なんて聞いても、その写真表現はもうすでにあの人がやってることで、何もおもしろくないんだけどと、捻くれていた時代もありました。あの頃ボクはとても若かったです。今は好きに撮ってたら良いと思うよ以上のことを思わなくなりました。出会うべきときに出会うものですから。

目指す場所は、写真家によってそれぞれです。まだ誰も挑んだことのない領域を攻め続けている人を知ったとき、ボクはぽかんと口を開けてその写真を見続けたあと、めちゃくちゃ楽しそうに何度もその写真を見ていると思います。知らない世界の写真が見られるんだから、それはとても幸せな時間になることでしょう。そんなことを考えていると、ボクはただ目の前にある風景を記録できるだけで良いと思うようになりました。ショア様に影響を受けた二番煎じの写真です。だけど、撮れた写真を見るとボクは嬉しくなります。

自分で言いますが、めちゃくちゃ良い写真ですよね。

昨日観た写真集の副作用で頭の中が写真でいっぱいなので、何を書きたかったのかよく分からなくなっていますが、皆さまも自分が好きなように写真を楽しんでくださいね。

ボクはもっと奥まで、写真の沼に進んで行きます。前も後ろも右も左も方向感覚を失ったまま彷徨い続け、目が覚めるような写真に出会い、写真への情熱を絶やすこともあれば、また燃やして、ドン引きされるくらいの写真を撮って、写真を読めるようになります。

写真、楽しいね。

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