来週会う人がnoteを読んでくれていることを知ったときのこと

写真に興味があるからボクのnoteに辿り着いて頂けたと考えれば、実際に会う前にボクが普段どんな風に過ごし、写真とどう付き合っているか知ってくれている方が良い気はする。ただ、ほとんどのnoteが多くの人に読まれるような書き方をしていないから、受け取り方によってはかなり変わった人という印象をもたれる可能性もある。

ボクは写真のことをどう考えているのか掴めそうで掴めない絶妙のラインを攻めている。真剣に写真のことについて書くこともあれば、あることもないこともミックスした妄想写真論について語ることもある。一欠片のバッカスを食べれば、ほろ酔い気分になり、言葉のリミッターが外れ、思い浮かんだ言葉たちが次から次にスマホを埋めていく。そう、今ボクは仕事帰りの電車で、椅子取りゲームに負けて、車窓を眺めながら真面目にnoteを書いている。

仕事で誰かにアポを取って話を聞きに行くとき、事前にその人について調べることはマナーとして当然だと思うけれど、遊びの場合はそうする必要はないと思う。決してボクの印象をnoteでつくりあげられると困っちゃうからではない。ボクがホットケーキとプリンとおでん(白いはんぺん)を好んでいることは真実だ。純喫茶が好きだけれど、清潔感に欠くとちょっと居心地が悪くて耐えられない。この感覚は文章だけでは伝えにくいのだけれど、テーブルやメニューがねちゃねちゃしてると、自らレッドカードを出して自主的に退場するくらいだ。喫茶店は心と体を癒してくれる場所であり、それにより写真のことで新たな気付きを得ることもある。

喫茶店で同じテーブルを囲んだ人たちが写真とどんな風に付き合っているかはとても興味がある。いろんな付き合い方があって当然だから、『素敵ですね』の一言しかリアクションしないこともあるかもしれないけど、決して興味がないわけではない。大抵の場合、より具体的に目の前にある世界をどう見えているのか聞いてみたい。ただ、これを聞くと面倒臭がられそうだから、初めましてでは中々聞けないのだけれど。

人を知ろうとするとき、ある一面を見ているだけでは、その人を知ることはできない。写真も同じである。SNSに1枚だけ投稿された写真を見て、撮影者の想いなんて分からない。写真集や写真展でテーマを明確にしても、観る人によって伝わり方は異なる。写真の醍醐味だと思う。

文章も同じだ。誰かに向けて書くときは、いつもより何か恥ずかしい気持ちがある。どんな風に受け取ってもらえるだろう。こういうことを書くと、運悪く届かないことも多々ある。本当に世界は不思議なことに溢れているから飽きない。

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ほぼ毎日更新予定。 8割くらい全文公開しています。写真、音楽、本、仕事、家族、日常をテーマに毎日書いています。1行くらいしか書いていない日…

写真や旅のことだけじゃなく、今ボクが気になっていることをnoteに書いています!読んでいただきありがとうございます!