読んでくれる人のことを思いながら書く文章には、ボクを癒す効果があるように思う

ニコニコで過ごしていたら、自分の周りにニコニコした人が集まってくる。いつ読んだから忘れるくらいずっと前に読んだのに、今でもネガティブな感情に襲われたときに思い出してしまう。後輩の質問を、忙しいからと愛想なく答えてしまったときは、「あぁ、どうして余裕をもって答えられなかったんだろう」と寝るまで引きずってしまう。ニコニコに囲まれた憧れの生活まで道は長そうだけど、ずっと意識しているだけで苦手だった上司との関わり方も変化してきた。

話が長い、要点を簡潔に述べて欲しいなど、ボクが他人に対して感じてしまう点は、「ボク自身が弱い部分」と一致しているらしい。そう言われると、確かにそうかもしれない。本屋さんでも「伝え方」について書かれた本を見つけるとつい手にとって読んでしまう。エレベーターで社長と一緒になることなんかないのに、万が一に備えて話す内容を考えたこともある。もっと上手く話せるようになりたいと、漫才や落語を聞いてはいるけれど、本気でそれだけに取り組んでいる人には追いつけない。

一つのことだけに集中できことが、これまでの人生にあっただろうか? 学生時代は、学業と好きなことを並行して取り組んでいたし、卒業してからは仕事の合間に好きな写真や音楽や本に時間を費やしている。この先、いつになるか分からないけど、一つのことに集中できたとき、ボクの生活はどんな風に変化するのか興味がある。飽き性のボクだから3ヶ月も経てば、「もう飽きたよ。一つのことに集中する生活はボクには合わないんだ。。。」と泣き言を言うかもしれないし、「毎日写真を撮って、ボクの写真を楽しみにしてくれている人のリクエストに答えてあげよう!」と過去にないくらい意欲的に写真を撮れるようになるかもしれない。初老になっても、ニコニコして写真を撮り続けられる生活は、ボクの理想の将来だから目指すべきゴールの一つであることは間違いない。

ただ、ボクの人生を支えてくれていたのは音楽だ。子どもたちがそれぞれの目標に向かって歩きだしたら、平屋を建てて、音響環境を整えた部屋で紅茶とケーキを食べながら、ゆっくり音楽を聴きたいねと、妻と話をしたこともある。もう忘れているかもしれないけれど。

写真を撮る気持ちの余裕がないくらい、年が明けてから忙しい。毎日書いているnoteにもそれが表れそうだから、公開範囲を限定しようと思ったのかもしれない。今日のように、公開するnoteを書いていると、身が引き締まるというか、読み終わった後に「読まなきゃよかった」という気持ちにさせてしまわないように、言葉選びが慎重になる。書きたいことの殴り書きじゃなく、読んでくれる人のことを思いながら書く文章には、ボクを癒す効果があるように思う。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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