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写真エッセイ〜2023年3月〜

家でnoteを書くときは、Spotifyで適当な音楽を聴いていることが多い。インストゥルメンタルの中から、Peaceful Pianoといういかにも幸せになりそうなプレイリストを選択した日は、今日もいい1日だったと思えるから不思議だ。

1ヶ月先のことが見えないかと思えば、明日どうなっているのか分からない状態にもなった。こんなことを考えていると不思議なもので、Peacefulだったメロディーにもシリアスな雰囲気が漂い始めた。感情は、人はもちろんのこと、Spotifyのアルゴリズムにまで影響しているかもしれないという仮説が活かされることはあるのだろうか。気になったことに都度問い掛けていると、自分でも億劫に感じることもあるが、そのお陰で毎日に小さな刺激が生まれている。今日は何もおもしろいことがなかったではなく、自分からおもしろいものを見つける意思が大切だ。感度を上げていれば、道路で蟻が歩いているのを見つけただけで面白くなる。

蟻:今日も人間は足元を気にすることなく歩いている。あっちこっちに、ボク達の食料が転がっているのに素通りしているが、人間は一体何を食べて、あんなに巨大になったんだろう。生まれたての人間でも、ボク達より遥かに大きい。人間が現れる前は、恐竜というさらに巨大な生物がいたらしいと、長老がこの前の集会で教えてくれた。少し前までの地表は土で覆われていたのに、あっという間にアスファルトとかいう黒くて硬い石みたいなものに変えられてしまった。ボク達の巣は危機を逃れたけれど、角砂糖を調達するルートを断たれてしまった。補償請求できるならしたいけど、人間はボク達の声を聞いてはくれない。たまに物好きの白衣を着た人間がボクの仲間を連れて行くけど、話を聞いてくれるわけではなくて、ボク達が作る家を見てふむふむと唸っているだけだ。余程の変態なんだろう。桜の時期は、お酒とかいう飲み物を飲み過ぎて、頭に紐を巻いてクネクネしているおじさんも少し前まではたくさんいた。人間は基本的に変態なのかもしれない。この仮説はおそらく正しい。働き方改革とかいう取り組みもしているようだが、ボク達の世界では働き方の見直しを環境変化により避けることができず、何度も何度も変革し淘汰されることなく今の時代まで生き延びている。果たして人間にそれができるのだろうか。

蟻の声

蟻に心配してもらえる人間が、蟻さんのことを気にしないのは礼儀としていかがなものか。新任課長がお花見の場所取りのために、午後休を取得して桜の木で待つ文化は今もあるらしい。ブルーシートの下には、一体何匹の蟻さんがお花見の邪魔をされて悲しんでいるのだろうか。

ボク達は自然の声にもっと耳を傾ける必要がある。自分のことで一杯一杯の3月だったから、来月からはいろんな生き物の立場になって世界を見ていきたいと思う。

写真や旅のことだけじゃなく、今ボクが気になっていることをnoteに書いています!読んでいただきありがとうございます!