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当たり前がなくなれば毎日をもっと大切に過ごせるかもしれない

毎日見ているものは、そこに在ることが当たり前のように感じてしまう。自分の部屋の窓から日本を象徴する富士山が見えるなんて、海外の人からすればAmazingなことであり、泊まれるなら五つ星ホテルと同じくらいの金額を払ってでも泊まりたい人はいるはずだ。どんな人か想像したくなってしまった。

『ねぇ、あなた。隣町のロバートは日本へ旅行に行ったのに、リッツに宿泊したらしいわよ。私なら絶対にマウントコウヤの宿坊を選ぶわ。どうしてわざわざ10時間以上も掛けて移動して、リッツに行きたくなるのか感覚が理解できないの。えっ、安心感がある? そうね、安易な答えではあるけれど、その通りだわ。言葉が通じない国へ行って1番不安なのは、思いを伝えられないこと。トイレの場所を尋ねたいのに、I love youなんて言っても何の解決にもならないものね。冗談で言ったのに本気にされて、真顔でI'm Sorryなんて言われたら、私もどうしたら良いか分からないし、もう我慢の限界まであと僅かな状態になってしまうわね。ロバートはそれが嫌だから、リッツに泊まって、英語の案内が充実しているお店をたくさん調べていたのね。私にはできない。こんなことあなたに言うと、私が行き当たりばったりの無計画人間だと思われてしまうかも。でも、人には譲れないものがあるの。そしてそれは人によって異なる。私は安全より、経験を大切にしたい。だから、言葉を理由に諦めることなんて出来ないの。えっ、分かってくれるの? 深くは聞かないけれど、さすが、私が見込んだ人だわ。』

久しぶりに妄想したけれど、妄想は楽しい気分のときにしたくなる。きっと、今日の静岡フォトウォークがめちゃくちゃ楽しかったんだと思う。初めて会う人がほとんどだったけど、車に乗せてもらって富士山が見える場所へ連れて行ってもらったり、素敵な雰囲気の喫茶店で大好きなプリンを食べたり、写真の話をしたり、普段大阪では1人で写真を撮っているボクにとってはすべてが新鮮でした。ボクの足の調子が良すぎて、気の向くままに知らない道を歩き続けてしまい、撮影時の交流があまりできなかったから、次回静岡に遊びに行ったときは、『待望の白と黒のはんぺんが共演している様子に感動したから写真を撮ります!』とか宣言しながら、街を撮るのもおもしろそうだなと思った。需要ないだろうけど。

大阪駅に着くと、電車からエレベーターへ向かう人たちが『我先に!!!』と忙しなく歩き、当たり前のように横から列に割り込んでいた。何をそんなに急いでいるんだろう。一人一人が思いやる気持ちをもつだけで環境は必ず変わる。静岡で出会った穏やかな人たちのことを思い出しながら、また一緒に散歩やお茶ができたらいいなと思う。次は紅葉の季節かな。

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