死にながら生きてる

近況報告。もっとも、今後しばらくはここに何かを書くこともないだろうから、もしかしたら次の報告はないかもしれない。今これを書いてるのも、書けと言われたから書いているだけだ。

先日、全てを捨てた。
それは長年温めた小説家の夢であったり、創作活動の意欲であったり、他人に対する期待であったり、趣味や生きる希望であったり、未来であったり。
そういうもの全て捨てて、何にも残らず空っぽのまま生きている。それは案外楽で、今まで苦しんできたのは全部無駄だったのがわかった。

鬱とかではない。
働いてるのに貧困で、もう何もできない。趣味を楽しむにも、創作をするにも何をするにも、金と余裕と時間が必要なのだ。今の私には無理だ。

お金がないので、お金がかかる趣味をやめた(リターンがある競馬以外何もしていない)疲れて会社を休むのは給与が減ることに繋がるので、遊ぶことも創作も公募もやめた。何も考えたくないので、深く考えるのをやめた。ストレスを増やしたくないので、友達と距離をおいた。会話を諦めるようになった。

なんのために生きているかはわからないが、ただ生きているのはすごく楽だ。
何も考えなければ、期待しなければ、興味を持たなければ否定されてもダメージが少ない。
すごく楽だから、死んでいるみたいな生活でもいいと思う。

否定されることに疲れた。
意見を言うことに疲れた。これは統合失調が出ているのかもしれないけど、お前が口を開く権利はないと言われているのがわかるので、最近は人に会いたくない。何もかも自分で解決した方が楽だし早いし、わからないことや相談ならAIがやってくれる。

創作だってそうだ。AIの方が早いしクオリティが高い。やるだけ無駄だ。書きたいことなんてもうない。書いたとしても否定されるだけ。

何も興味がない。
誰にも私に興味がないし、私も自分に興味がないから身だしなみも適当だし、そもそもセルフネグレクトがやめられなくてゴミを捨てられなかったりゴキブリを放置してたりしてる。無害ならいいのだが、私は生きてるだけで害があるので自己表現も人を不快にする。母親に言われるが、生きるのに向いてないので、生活保護をもらって部屋に引きこもってるのが正解らしい。そうしようと思う。

難しいことを考えても理解が得られない。
勉強しても共有する人がいない。
求められている底辺像にハマるキャラクターでないと価値がないため、そのためには本当の意見は言ってはいけない。

先日小さい小説コンテストの最終選考まで行って名前が載った。もうそれで十分だろう。よくやった。

きっとこれが大人になることだと思う。
諦めて無難に日々を過ごすのが正解だ。

植物みたいな生活とは言えない。
生きることに生産性がないので酸素を作る植物に失礼だ。じゃあどんな生活かと言われればポイ捨てされた紙ごみのような。邪魔なだけの人生。何にもならない。

きっとこれからも誰にも尊重されず愛されず楽しくもなんともない人生を送る。でも、Twitterで特に何も呟かずTLを眺め、YouTubeを見て、何も考えず時間だけを浪費する人生は病まなくて楽だ。
何も考えないことが、楽園への鍵だったのだと思う。

楽しくもない、悲しくもない日々は、ぬるま湯のようで居心地がいい。多分、正解なのだ。
今までの私が間違っていた。
だからこんなんでもいいのだ。消費だけする大多数になれたのだ。
今は生きるのが楽だ。凪のような日々が楽だ。

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