追悼・原尞さん

原尞さんが亡くなった。日本のハードボイルド小説の第一人者で、僕が十代のころ、ミステリを読みはじめた時期にスター作家として脂が乗っていたかたのひとりだ。

初めて手に取ったのは『そして夜は甦る』でも『私が殺した少女』でもなく、第三長編の『さらば長き眠り』だった。発売は1995年なので、僕は中学三年生のころだ。当時は「このミス」一位や直木賞を取っていることなど知らず、金曜の夜にやっていた桂文珍の「はなきんデータランド」という番組のベストセラーランキングに並んでいて、元高校球児が八百長試合に端を発したとある事件の調査を、私立探偵に依頼してくる……というあらすじに興味を惹かれて図書館で借りた。思えばハードボイルド小説を読むのはたぶんそれが初めてで、いつも読んでいる謎解き本格ミステリとはまた異なった、硬質な大人の世界に酔いしれたことを覚えている。それ以来、『さらば長き眠り』は、僕にとって大切な小説のひとつだ。

原尞さんの魅力はなんと言っても文章と台詞で、もちろん比喩表現も巧みなのだが、〈車を駐車場に停め、下りて事務所まで歩いた〉みたいな何でもない描写にも香りがある。沢崎や渡辺はじめ、キャラクターも皆個性的で、僕は新宿署の錦織警部と、暴力団員の橋詰が特に好きだ。「プロットが緊密」ともよく言われるが、〈緊密〉をどう定義するかにもよるが、僕にはこの評価はあまりピンとこない。少なくとも〈あらゆるシーンに無駄がなく、機械のように有機的・機能的に設計されている〉というような意味での〈緊密〉さはないと思う。僕はプロになってから小説を読む際にプロットを書き出すようにしていて、『私は殺した少女』もプロットに起こしたものがあるのだが、骨組みを見てみると物語機能上は不要とも思えるシーンも結構ある(「不要と思える」というだけで、つまらないと言っているわけではない念の為)。一人称の捜査小説は、全シーンに意味を持たせてしまうと段取りくさくなってしまうので、おそらくあえて遊びを作っているというか、一部をのびのびと自由に書いているのではないかと思うのだが、これは作者に確認したわけではないのでよく判らない。僕の読みかたがおかしい可能性もある。どちらにせよ、こういう遊びの部分も含めて、見事な小説だと思う。

プロになってから、子供のころに憧れていた作家さんに多く出会えており役得としか言いようがないのだが、原さんにはとうとうお会いすることはできなかった。一度だけニアミスがあり、第72回日本推理作家協会賞である。このとき原さんは『それまでの明日』で長編・連作短編集部門に、僕は「イミテーション・ガールズ」という作品で短編部門にノミネーションされていて、双方受賞となると原さんに会えるかも……! などと取らぬ狸の皮算用をしていたのだが、僕は落選、原さんも受賞は叶わずであった。

沢崎と渡辺を巡る物語は未完に終わってしまい、せめてあと一作読みたいと思っていた第六長編も永遠に読むことはできなくなってしまった。時代も令和になり、高潔な闇の騎士を視点に置いたハードボイルドもなかなかリアリティを担保するのが難しくなりつつある。久しぶりに『さらば長き眠り』を紐解きつつ、静かに追悼したい。合掌。


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