惟式草稿
ここは惟式の教科書をまとめる為の草稿保存所
感情がどのようにして生まれるのかの仕組みが解けました。
感情とは感覚を情報から逆算して生み出すもので、情報を感覚器官が再現して感覚として報告されたもので、その感覚が正確である為には感覚として受け取った情報が正解である必要があり、正解を解く為には必死と懸命を必要とする。
必死と懸命を得るなら不満を得ることになる。
不満が出口とするのは衝動。口から出て来た不満は否となり気持ちを過度に揺らす。ここで音の能力を必要とする。必死は必四で解く為には角がいる。つまり資格は四角でそこには視覚出来ない死角がある。この死角を自覚することの出来ない者は直を得ることはない。人は曲で曲だから曲がり歪む口が正しさを求める者だけが不を否に出来る定めなのかもしれない。
光のような白い心を限り無く小さくすることで点として、中心に心を止める。おそらくこの位置は絶望の位置。自身の才能を信じて疑わない者にはその位置はわからない。
はじめはやはり数が正解だった。
数から音。音から色の変換が心象として心を象る。象った心の形が感覚として機能となる。ただし回路としての感覚を実感にまで現わせないと、その感覚は現実として機能しない。
ここに体験としての知恵が要る。
形、意味、内容、機能の糸口はまさに糸つまり四にあり、始の四は死となり零となる。
魔術師の位階である一を機能させるには零の領域の能力が要る。ここに神が細部に宿る真意がある。
つまり、与えられる情報が不満から否定を描く時そこに神の真意が姿を現わす。
ま、これがおそらく占いの真の仕組みだと思う。
理解の色は黒。点は點。点を得るには朔というはじめがいる。
弓という漢字は弓の形を描いた象形文字なのですが、ぼくはこの弓という漢字を見る度に違和感を感じてしまう。なぜかと言うと弓で矢を射ると自分から遠くに飛んで行く形になるはずで、なら弓は前に向けているはずで、なら弓の形は反対に向いてないと後ろを射る形になってしまう。弓という漢字には糸である弦は描かれていない。
ぼくはここに隠れて見えない真意の糸を感じる。
強いと弱いで弓は三つある。強いと弓は一つで良いが弱いと二つ要る。なら矢は何本なのだろうか。
知恵は終りにある。つまり後ろにある。
始は前にある。そして正解も前にあるから戻らなくてはならない。戻らないと辿り着けない位置に正解はある。それは途中、現在で理解となる。黒い糸。玄とは黒のこと。
無垢で無知になると知る前の信じる世界が開けて来る。信じる世界は疑う世界からしか辿り着けない世界ということらしい。
人としての価値観を喪失するとその前の価値観が芽生えてくるらしい。
結局、間違ってなかったのか、それとも間違うことが出来ないように仕組まれているのかのどちらかだと思うよ、僕の人生は。
さっき、長年考えていた謎の答えが返って来た。
土の力の正体についてだったんですが、土は中央で浄化が自然の力なのですが、この力が人に対してはどのような力として作用するのか解らなかった。
しかし、解けて見ると答えはとても単純で明快でした。
答えは圧力。
宇宙に働く力である重力、引力。そして人の心に働く圧力。
圧力が花崗岩を金剛石に変える。
抑圧。そして欲望。谷。
望みは欲。
原理と原則。
宇宙の正体はいつ解けるのだろう。
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