心身創質

武術というか、護身というか要は自身の身を護るためにする動きを追求していくとある動きに突き当たる。

その動きがどんな動きかは想像して頂きたい。

例えば何々拳とか色々と名前があり、その名前はつまるところある決められた動きの形を繋げることで成り立っているものだが、その動きが本当に通用する動きかどうかは実際の場で試されないとわかりようもないが、それがどのような動きでもその動きの本質を捉えているならその動きが本当に通用する動きかどうかは判断出来ると僕は考えている。

僕は最低の線から点を探すという手法を取りながら天意を探すのだけど、僕が身を護る技として使えるかどうかを判断する時に用いる言葉として利がある。

これは簡単に言えば「切れ」のことで切れる動きなら実際に通用するだろうと僕は感じている。

僕も僕なりに中国武術と呼ばれるもの、特に八極拳や太極拳、形意拳、八卦掌などの真実を探求して来たけど、僕が解答として見つけた動きは現在流布している動きと似ているが、異なるものとなっている。

僕は弱さから切れを見つけることにした。

これは静から勢を見つけようという試みになる。

筋肉を落とし、脂肪を纏い、持久力を失い、瞬発力を消し去り、ただ立っているだけでも辛いくらいの体力で動きの本質を探るということをして来たのだけど、結果から言えばそこが出発点であり終着点である気がする。

動きの本質は自身の体で探していくしか方法は無いと僕は感じている。

それは肉体のことで、肉体とは精神つまり心により動くものであるから何よりも大切なのは心の動きを自身が知る事にあると僕は思う。

心は言葉により方向を決めていく。

その先には音の次元もあるのだけどそこは潜在意識という深海の底での話となるから、もう光は見えない世界となる。

心にとって必要なのは真実であり、そこには均衡という想いの重りがある。

思うに、どんな武術や格闘技であろうと均衡は最も必要な感覚。

想像力と創造力が無い者に、対なる重りの感覚は身に付かないだろう。

結局は武術とは破壊力に結実する。作る作業と直す作業と壊す作業、武とは壊す作業に他ならない。

最も力の無い者が最も力のある者に力で勝とうと思えばどうすればいいのか?

その答えが身体構造を熟知することになるのが、武の性質である。

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