心臓と心象
心臓の動きは大きく二つに分かれている。それは吸うと、吐くという肺の動きに繋がっている。
呼吸とは吸うことを呼ぶことで、実質的には呼ぶのは吐くこと。人は吸い続けることも吐き続けることも出来ない。当たり前のことだけど吸った量以上に吐くことは出来ない。
動きとは肺にその力の源を持つ。
それは酸素という動力源がなければ人は動き続けることは出来ないからで、動き続けないと死んでしまう場所があり、それが心臓なわけで、だから心臓は止まることを赦されない。
つまり歩のように止まる少なくでも、少なく止まるでもよくない場所が心臓ということになる。
武とは止まる、止めることをその技術の基本とする。
手を止める、足を止める、息を止める。であるなら
文とはその反対であることに気づくだろう。
どうすれば知ることが出来るだろうか「ブ」を。
最も必要な「ぶ」とは何かを追求しないと気づかないだろう。
僕はそれを追求してその必要なものを不とした。だから僕は必要でないものから見詰めることにした。
僕にとって必要でないものとは何だろう。それは嫌なもの、嫌いなもの。
生命にとって不要なものとは何か?生きる命とは何か?生きていない命とはあるのか?
生きていないものは死んでいるものなのか?生まれていないものは死んでいるものなのか?
自分とは何か?それは自分の肉体を動かすもの。ではなぜ動かないとならないのか?
答えは動けなくなるから。
動けなくなるとどうなるのか?その答えは心臓を考えればわかる。
物事とは自然に起こる。
まずは自然を知ることがとても大切なこと。自然が極まれば自然はその姿を極まった形で表すもの。
自然の気象と人の気性、力が強くなれば自然は渦を描くようになる。
なら人が力を強く用いるためにどうすれば良いかは語る必要もなく、通じる。
動くのだから重い力が必要なのです。止まれば重く、動けば軽く。下は重く、上は軽く。
それらの全ての答えが申にある、閃かないと通じない天には。
僕が武術を練って気付いたことは武術に限らず、舞踊であれ遊技であれ四肢を用いて表現するものであるなら始めに練るべきは、伸ということ。
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