神武創生のことわり
人は力に魅せられる、それは力が無いよりも有る方が有利だから。
有利の反対は?
有利の対語は何だろう、無理かな、不利かな。
武であろうと魔であろうとそれが術や法と続くならそこには技があるはずである。
形は素質、才能が占める。
であるなら技とは何か?
それは動き。力の流れ。
僕は自分なりの形や動きを見つけるためにあらゆる武術の研究をしてみたが、武術以外にも舞踊や遊戯などもありとあらゆるという言葉に反する意味にならないようにありとあらゆるものを見たり、聞いたりしてみたけど、それはあらゆる支流を見て回るに過ぎないことに気づいた。
そしてその支流の流れを遡りその源流を見に戻るわけだけど、その流れは最後には消えてしまう。
どこからともなく湧き出す泉に……。
川はどこから流れてきたのか?
その答えは空でしかない。
雨がどのような川であろうとその正体。
雨の正体は雲、雲の正体は水蒸気。
で、人が不可思議なものに対して付けた気という言葉の正体も水蒸気に過ぎない。水蒸気と水の違いは何か?
水蒸気とは気体の水。
水は374.2℃(水の臨界温度)以上では水蒸気としてしか存在できないが,それ以下の温度では水蒸気と液体の水または固体の水(氷)とが共存できる。
液体の水をその体積よりも大きな容器に密閉して放置しておくと,水は表面から蒸発して水蒸気になるが,蒸発する水の量には限度があり,水蒸気の圧力がある一定の値に達すると蒸発は見かけ上とまり,水と水蒸気との間に平衡状態が成立する。
水蒸気とは水が蒸発してできた無色透明の気体。湯気が白く見えるのはこの一部が冷えて細かい水滴となるため。
蒸気。気体の状態になっている水。また,これが空気中で凝結して細かい水滴となったものの俗称。
ということは水が気体になると水蒸気と呼ばれることがわかるけど、では気体とは何かという問いが生まれる。
気体とは物質の示す状態の一つで,比較的高い温度,低い圧力の場合に実現する。気態とも書く。
気体は,固体や液体と違って一定の体積をもたず,容器に入れるとこれを満たし,つねにみずから広がろうとする性質をもつ。
気体の密度は,固体,液体における値より小さい。また,気体は,固体,液体と違い容易に圧縮することができる。
水を熱すると水蒸気になり,冷やすと氷になることは古代人にも認識できた現象であろう。
水は水蒸気になると無色透明になり見えなくなる。見えているのは水蒸気ではなく水滴。
才能がなく素質も無い人は嘘を嘘だと見抜けない。
武術の才能と素質それと暴力の才能と素質は異なる。
僕は人に一切の期待をしない。
なぜなら人は裏切る性質を持った生き物だから。
みずからきたいになると水滴ではなく蒸気になる。
つまり色も無く透き通るから他のものには見えない。
人よりも劣るということが人よりも優れるということに繋がることに気づかないと弱の本当の力には出会えない。
人を憂うということは少ない力を知らないと理解しようもない。
病にならないと病の人の気持ちはわからない。
同じ気持ちにはなれない。
そのことをわきまえる時、はじめて人は同じ気持ちにはなれないという同じ気持ちを味わうことが出来る。
異なるを知る。そして事なる。
鳥は翼、異なる羽を持ち空を飛ぶ。
わかった気になっている間はほんとにわかることはない。
わからないを知るとわかることになる。
わからないことがわかる。
するとわかることがわからなくなる。
武は直を求める。直と磁気その答えは自棄。
直とはまっすぐなさま。まっすぐである。まっすぐにする。正直な人
久しぶりに字解すると
会意。原字は「┃(まっすぐ)+目」で、まっすぐに目を向けることを示す。
人の目は上を見上げると遠くを、下を見下ろすと近くを見るように調節されるようになっている。
それは自分で意識する事無く生まれた時からそのように仕組まれている。
自分の力ではどうすることも出来ない領域に零の世界は存在する。
人の生み出した幻想の海に溺れない事。
気功は気候に繋がる。
甘い幻想を見ていると辛い現実を味わう事になる。
自分に才能があると思っている間は才の本当の意味などわかりようもない。
隠せなくなれば、隠されなくなる。
これはまことに真意である。
本当に不意に突然に対応出来る武を欲するなら直から始めないと。
息は即を求めるのだから、退こそが命、進めば合うそれが集まるということ。
真っすぐ歩く。すると極まる。
僕が知った太極の原理を用いた拳術とはそれだけのこと。
音を言に変えるくらいの力がないと勅の動きには気づけないだろう。
それがつまり一と十の変換の動き それが魔術という衣であり武術という体となる。
想像を絶する。
それはつまり想像出来ないということ。
それは何故?
想像したくないから。
強さを求めて武を求めるのに強さを見たいのに、弱さを見つめる。そんなことはしたくない……。
何故僕は弱さを見つめて武を求めることが出来たのか?
答えはとても簡単。
それは強さを与えたくて武を求めたから。
九の武器は弓
絶する糸の色は何色?
色とは伽の事
成功の秘訣は性交にある。
なぜなら人生の目的というか生物の営みの全ては殖える事にある。
つまり十にあるということはどちらから十に進むのか?
それは間違いなく一からに決まっている。
ならその糸を解くためには十から一に進めばいい。
武の基本は弓であるなら、当らなければ良いわけだ。
的にならなければ当らない。
弓は矢がないと武器として成立しない。
それはつまり九は八がないと成り立たないということ。
矢は直で飛ぶ。弓は曲で撓める。
勁の真実に到れば糸が解ける。
三を持ってしか知る事は出来ない。
それが理解の力「従順」の効用。
武を知りたいなら、文を、文の力を知らないと……。
それは交わる力だから伝え合う、響き合う
魂に。
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