心の音
日常的な言の葉の一回目として語るのは、最近僕が特に感じていることにしたいと思います。
それは言葉について。
僕は特殊な業務を行う省庁の出入管理を仕事としているので、挨拶や言葉をとても大事に扱っています。
僕は魂や心というものにとても関心があり、その存在と本質について思案することがとても多く、言葉についても納得のいく意味や内容を探して来ました。
僕が辿り着いた答えは、言葉は心の音というものです。
言葉は声で発します。では声とは何でしょう。
声とは心の音。
しかし、現実には声とは口から出る音。
声は口から出る音に過ぎない。
であるなら、言葉も口から出る音に過ぎない。
言葉も声も口から出る音に過ぎないなら、心はどこから出るのだろうか。
僕は心とは広大な海のようなものだと感じ、思って、考えている。
人は自分の心を分け離した時にしか認めることが出来ないのだと思います。
分け離した心に音を重ねることで、音から心の意味と内容を認められるようになる。
もしも、言葉となる声の音に心が無いままに音だけを発し続けたらどうなるか。
音に心を感じられないようになり、音に心を重ねることが出来ないようになる。
僕は感じる。
人は、自覚出来ないとしても音に重なる無音の心を感じ、自分の受け取った無意識の感覚を表現している。
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