気持ちにおいて

心って何と聞かれたら、僕は感覚と答える。

感覚とは何と聞かれたら、覚えた感じと答える。

では何を感じて覚えたのか。

それは気。

気を感じて覚えたものが心の正体だと僕は考えている。

では感じて覚えた気とは何か。

答は、最も小さい、感じられる限りの何か。

人が知覚し得る最も小さい何らかの実感を気と呼んでいるのだと思う。

気は知覚し得る感覚器官を持てば実体として感知出来る性質のもの。

感覚器官が知覚し得る感覚を鋭敏に研ぎ澄まさなくても、誰でも普段から何となくは気を感じていたりする。

それは意味としてその感覚を表す言葉があることでも分かる。

雰囲気という言葉は何を表しているのか。

その場やそこにいる人たちが自然に作り出している気分。

では、その場やそこにいる人たちが自然に作り出している気分とは何か。

快・不快など、ある期間持続する、やや漠然 とした心身の状態。

快・不快などを生み出す心身の状態とは何か。

物事は単純であるほど簡単で、複雑であるほど難解になる性質がある。なので単純に簡単になるように気を分ける。

すると気は、二つに分けられる。それは正しい気と間違った気。正しい気を正気、間違った気を病気という。

正しい気を持っていれば正気であり、正気であれば良い気で良い気を持っていれば気持ち良い。

間違いとは過ちで、過った気とは病んだ気で、病んだ気は悪い気で悪い気を持っていれば気持ち悪い。

正気とは正解、正しく解くことで得られる気。

病気とは誤解、誤って解くことで得られる気。

病とは体がかたくなることで起こる現象。

気持ちを心とすると、心とは中ることで感じる的のようなものでその的の中心を矢で射ると当たったことを感じるようになっている。それは喩えを変えると、水蒸気が集まって溜まった水に何かが落ちて出来る波紋のようなもので、溜まった液体の性質によって波紋の出来方が変わるようなもの。

正気とは自然な気のことで、不自然な気は病気となる。

気持ちを病気にしない為には持つ気を正気にするしかない。持つ気を正気にするには気を正しく解くしかない。

気を正しく解くには気は一に止まるしかない。

止まる一とははじめのこと。はじめは自然だったものが過ぎることで不自然になって正気から病気になる。

では何故病気になるのか。

答は過ぎるから。

一の口は同じ。

正解とは同じしか認められない領域の応えである。

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