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自分を丸ごと受け入れる

あけましておめでとうございます!
毎年、年が明けると「今年の目標」なんて聞かれたりしますが。
どう?みんなは目標立てたりした?
ちゃんとじゃなくてもなんとなく目標とか、今年はこれやろうかな、やりたいな、なんて思いがよぎったりもするんじゃないかな。
で、その目標ってのはやはり具体的な何か、だよね。
ダイエット?筋トレ?英語?仕事のこと?何かの上達?いろいろあると思うけど、心のことを考える人もまあまあいるかもしれないね。
今年こそこの悩みから解放されようとか、この問題をどうにかしようとか、いつも気分の良い自分を心がける、とか。

わたしもね、もし何かを考えるとしたらそうゆうことかなー、って思う。
やっぱり、具体的な何かを頑張るにしても、心とか、自分の土台が整っている方が上手くいくと思うし。基本的にそう考えるから、いつでも注力するのは自分の土台、自分を整えること、マインドのこと、そしていかに心の呪縛を外すか、ってのが関心事になる。

で、よく思うのが、イヤな気持ち、苦しい感情、それらと向き合って、どうにか解消したい!みたいなことだったりする。自分と向き合うのはもう趣味とゆうかライフワークとゆうか笑、さんざんやってるんだけど。でもその時どきの、できれば持ちたくない感情を手放したい、ってのがあったりする。そんな風に考える人、いるかな?(仲間募集。笑)

で、じゃあどうなればいいの?って考えた時、いつも気分良く前向きで楽しい状態になりたい、って思ったりするよね。そのことについて今日は書いてみたいと思う。

「いつも気分良く前向きで楽しい状態になりたい」。そう思うのはなんでだろう。気分良くあること、前向きであること、楽しい状態であること、それがある意味「正解」だと思うからだよね。

じゃ、それってなんで正解だと思うんだろう。きっと、数々の発信なんかを見てそう思ってるんじゃないかな。心理系にせよ、スピリチュアルにせよ、成功法則にせよ、ビジネス系にせよ、やはりポジティブであることは良いことだし、むしろ心地良い状態でなければ何をやってもダメだとか、まずは悩みを解消しよう、みたいなこと言われるし。そこで、気分良くいる、ってのはどうゆうことなんだろう、ってあらためて考えてみる。

人間生きてりゃイヤなことも起きるし、問題だって発生する。そうゆう時に、心理やスピリチュアルとかでは、全て自分の見方次第とか、捉え方次第、みたいにも言われたりするから、問題を問題たらしめているのは自分なんだ、自分の在り方をどうにかしよう、ってことになったりするじゃない?

成功法則やビジネス系なんかだと、何が起ころうと自分にフォーカスすることが大事、みたいに言われたりもする。要は振り回されちゃいけないよ、的なことだね。

まぁまとめてしまえば、何が起ころうとも、自分の考え方や自分の在り方を整えれば気分良くいられるし、それが大変大事なことである、とゆうわけだ。

さて。常に気分良くいられる、ってのはどう考えても良いことらしい。じゃあイヤなことや問題が起きた時、それでも気分よくいるためにはどうすればいいんだろうか。

まず心理的ないしスピ的に、自分の見方や考え方や捉え方や在り方をどうにかする、って考えると、内観したり内省したり、瞑想したり、いろんなことを工夫したりする。まずは自分の感情が先、なんて言って笑ってみたり、明るく振る舞おうとしたりもする。

…のはいいんだけど!
気づけばそれ、自分にバッテン付ける作業になってないか?

物事をマイナスに見るのは自分がおかしいのだ、自分をどうにかするのだ、自分を変えるんだ、って。さらに、うまくできなきゃまた自分を責めるよね。

かたや、自分にフォーカスして、イヤなことや問題には囚われず、悩んでも仕方ないことは悩まない!と捨て置いて前に進む。これ、一旦気になってるからこそ無視ができるんだけど。だからそれって「気になってる」んだよね。だけど見ないふりして自分を保つわけだ。

どっちもさ、自分の感覚置いてけぼりにしてない?
いや、いいんだよ、そうしたい時はそうすれば。でも、あたしはそうゆうことするとちょっと不安になるんだ。なぜならば、気になってるくせに見ないふりをしたもの、気分を先にポジティブに持ってっちゃうことでちゃんと処理できなかったもの、そうゆうものこそが心の奥底、言うなれば潜在意識に落っこちていくからだ。

潜在意識に落っこちて、澱(おり)のように溜まったものは、それが塊となって自分の「前提」を作っていく。現実はその「前提」が具現化されたものだ。つまり、見ないふりして置いてけぼりにした問題ってやつが自分の現実を作るから、いつまで経っても問題が起き続ける人生、イタチごっこなんだよね。

もちろん、良い時もあれば良くない時もあるのが人生だけど、根底が同じ問題ばっかりじゃ、何も面白くないじゃん?小学一年生のドリルを一生やってるような感じ?笑

ほんで何が言いたいか、ってゆうと、イヤな気分になったっていいんだよ、ってこと。悩みがあったっていいんだよ、ってこと。それを解決したいと思いながら全然抜け出せないとしても、それだっていいじゃん。
えっ、さすがにそれはダメでしょ、って思うかもしれないけど、そうジャッジをし続ける以上、自分を丸ごと受け入れたことにはならないじゃない。

自分を本当に丸ごと受け入れるって、めちゃくちゃ難しいよ。良いところもダメなところもあるけどまぁいっか、って思うことじゃないしね。だってその時点で良い悪いゆってるわけだから笑

でもさ、ひとつずつ、ひとつずつ、丸ごと受け入れる、ってのができた時、気づけばむしろ気分良い自分と出逢ってるんだよね。しかもそれは頑張って良い気分を保とう、とか意識したやつじゃなくて、自然にね。

いつも現実は結果。結果に過ぎない。人間は現実を動かしたいから現実に手を付けたがる。でもね、現実を作ってるのは心の奥底にある「前提」の方なんだ。現実を参考にしながら、自分を受け入れるって作業をし続けるのが人生の作り方なんじゃないかな。

で、目標を立てる、ってのは、往々にして、現実に手を付けるって意味合いが強いんだよ。だからあたしは目標が苦手なんだけど。

でさ、ここまで言っといてナンだけど、気分良く保つこと、時には無視して突っ切ること、それも実は大事なんだよ?それは、自分を知るとゆう大仕事をしていく時に息切れしないように、ゲームオーバーにならないようにするための処置的なものだから。逆に言えば一時的な救済だね。それが必要な時ってあるでしょう?だけどそれが解決やゴールではないんだよね。

とゆうわけで。解消したいマイナス感情があってしんどくても、急いで解消しようとしなくていい、無理にポジティブにならなくていい、別に一生解決できなくてしんどくてもいい、と思ったんだ。だって、そんなことして見ないふりしたものが潜在意識に落っこちていくのを知りながら無視するよりはるかにいいじゃないか。

そう思ったら、どうだろう、勝手に悩みがひとつなくなったよね笑 誰が、しんどさのない、悩みのない、いつも気分が良いことが正しいなんて決めたんだ?自分の人生、しんどさも、感動も、幸せも、全部自分が決めるんだよ。

今年も粛々と、浮足立たず、沈みもせず、力強く泳いでいこう。時には感情に振り回されてもいい、突き動かされてもいい。へこんでもいいし、自信持ってもいい。ひとつずつ変な思い込みとゆう呪縛を外すたびに自分を丸ごと受け入れられる。そうして、見える現実が変わっていくのを楽しみに。

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