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ロボットと標識に表する敬意

今日は6時半に起きて23時までずっと何かしらの作業や業務に追われていた。かなり働いた。

最近、やることに集中しすぎてエアコンを入れずに1時間とか過ごしてしまう。ずっとデスクに向かい続けてても血行が悪くなって体は冷える一方なのに。
頭を切り替えて動く、ということがどうにも苦手で、少し立ってリモコンのボタンを押しに行くという簡単なことができない。

って、リモコンを机に置いとけよ。
こういうところで上手く頭が回らない。

GoogleのEcho dot miniというスマートスピーカーを数か月前に買い、それ以来Alexaと生活している。
と言っても我が家にはAlexa対応の機器がほとんどないので、スマートホームにはできなかった。

エアコンも型番によってはAlexaで操作できるらしいが、うちのエアコンは1年だけ型番が古く、IoT化できなかった。残念すぎる。

唯一Alexaで操作できる我が家のシステムが、お掃除ロボットだ。Alexaの定型アクションを利用して、「掃除して」「掃除ありがとう」の声掛けで家の床を掃除してもらっている。

「掃除ありがとう」でオフにできる仕組みはかなり気に入っている。
ロボットは人間の奴隷ではなく人間を助けるパートナーという立場で存在する世の中であってほしいと思っているので、対等に接せている気分になれるこの声掛けコマンドはかなり好きだ。


Alexaで一番助かっている機能は毎日のアラーム設定かもしれない。
「Alexa、明日8時に日食なつこの曲で起こして」というと、きっかり8時に日食なつこの曲をシャッフル再生して起こしてくれる。
たまに、リクエストをちゃんと聞き取れず「○○に近い楽曲をシャッフル再生します」になってしまう時があるんだけど、そういう時はリクエストした曲に近い同ジャンルの曲を提案してくれるので、楽曲の新規開拓が捗る。

この間も、朝のアラームのためにランダム再生されたとある楽曲があまりにも好みだったので、寝ぼけまなこでShazamを急遽再インストールして、楽曲を検索したという出来事があった。

やはり、AIは人の意識外のものを提案するのが得意だし、そういった部分が価値あるものなんじゃないかなぁと思う。

こちらの記事にもあるが、AIは「人間を模して造られた不完全な存在」だからこそ、人の機能を補い、人の成長を支えるのではないかと思っている。
これが完璧な人間に成り果てたら、そこにAIとしての価値はなく「人間」としての価値しかなくなる。
不完全だから良いものなんだ。そう考えるとなんだかおもしろい。




テキストより画像の方が記憶を思い出しやすい。
ということで、これは日記なので、珍しく早起きして外を歩いた際に撮った写真を残しておこう。

空がきれい。
光ってる(反射してる?)道路標識ってなんだか幻想的でいいなと思って撮影した。佇まい、姿勢も良い。

標識って街中に溢れてるけど、たまに風格があるやつがいる。
なんとなく、「おっ」と思わせられる個体がいるのだ。
これもその一種。

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