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昨日の私は他人



何故か私は今焦っている、
何故か理由は分からないけれど、これは良くあることだ、私にとって。

何故か今までの全てが恥ずかしくなる、無駄であったような、今までの人生で何一つ素敵なものを得られていないじゃないか!と思う。
そうして、今日を、明日を、より濃密に生きなければと焦る、生き急ぎ始める。

もちろんそれも長くは続かない。気づけばまた息切れして、だらだらとした日々を過ごし始める。だらだら、だらだらとして、またある日急に焦る


私は今まで何をしていたんだ、

濃密に過ごすことが出来たはずの幾日かを、私は無駄にしてしまった、私はダメな人間だ、恥ずかしい人間だ、そもそも周りより劣っているのに、さらに怠惰な生活を送ってどうするんだ、


どうしようも無い。私はもともと強い人間ではないし、まじめでしっかりした人間でも、素晴らしい人間でもない。ほんの数日、賢いふりをして過ごすことが出来るだけの人間で、ほんの数日、他者を自分の中にトレースして過ごせるだけの人間なんだ。私は素晴らしい人間ではないから、理想の人間をトレースできる期間は限られている。負の連鎖だ。毎日それで生きられたなら、私も本当にそんな人間になれるかもしれないのに。負の連鎖だ。


けれどまあ、こう生まれてこう育ってしまったからには仕方ないよね。せめてその焦りを行動に変えて、持続期間を伸ばせ伸ばせと尻を叩く毎日。こんなのもまた数日後には忘れているのか…

過去の自分が嫌いだ、大嫌いだから、すぐに忘れてしまう。3日前の自分が何を考えていたのか少しも思い出せない。3日前の私は自分のことが大好きだったはず…

今日の私は大好きだ。世界でいちばんかわいいし、努力していて偉い。でもそれも今の瞬間だけだ。次の瞬間には正反対のことを考えている時もあるし、当然明日には今日の自分を嫌いになっている。

私が好きなのはいつだって今の私なんだ。
私はいつもそうありたいと思っている。
せめて、今の自分だけは愛すんだ。
未来の自分にも期待を抱きたいから、今の自分を愛すんだ。

今この瞬間の好きなものなら答えられる。明日も好きそうだなってものもある。でもそうでないこともある。
そういう意味で、私には自我がないのかもしれない。


昨日の自分はいつだって他人だ。

今日の素晴らしい私が描く『今日』を今まで描けなかった昨日の他人は嫌いだ。だから昨日までを思い出して焦る。褪せる。

昨日までを全部見て見ぬふりをすればいいのに、どこかにいる真ん中の私が、継続する今までの時間に積み重ねられたものがあったはずだと叫ぶ。うるさいな、昨日の私は嫌いなんだ、積み重ねるものなんてあるわけない。
ああ、こうやって今までの恥ずかしい自分を切り離して自己防衛しているのか。可愛いなぁ私。

筋トレも勉強も、あくまで今日の私が頑張っていることであって、それは明日の私の功績にはならない。例え昨日どれだけ頑張ったとしても、それは今日の私の功績ではない。残念ながら。課題を先に提出しておいたのもその日の私の功績であって、今日の私にはなんら関係ない。今日の私の功績は、1週間後提出の課題を出したことだ。これは今の私の功績であって、来週の私には関係ない。来週の私にとっては、今日だす課題はないというただそれだけのことだ。

あーあ、早く課題を出したことくらい、1週間後に嬉しくなったっていいのに、それくらい許してあげればいいじゃないか。いつも1週間前に提出してれば良かったって呆れたっていいのに。この理論だとそれすらもできない。

今日の私はどうもひねくれていて、この功績を誰かに譲りたくはないようだ。面倒。面倒なのはいつも変わらない、私の共通点だ。

今日もとても面倒で生き辛くて愛おしい私だ。

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