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「寄付」とは最高の自己満足である。

今日の写真は、私の膝の上で眠るまーるちゃん。

日中はだいたい膝の上に猫を乗せて仕事をしています。

重いです。
体勢が変になるのでタイピング遅くなります。
作業効率落ちます。
でもいいんです。
ハッピーで働ければそれで良き!

通勤電車のほうがよっぽど体勢変になるし苦痛だわ!

ということで、今日は「寄付」について話をしようと思います。

私は少し前から、インスタで見つけたニューヨークのキャットレスキュー団体へ毎月欠かさず寄付をしています。
金額は毎月$100。
※私がやっているウェブストアでお客様からいただいた寄付金も含みます。

安く感じるか高く感じるかは人それぞれだと思います。

そして私は寄付を「最高の自己満足」だと思っています。

もちろん私が物凄い善人で、100%猫や猫を助ける人々のことを思って寄付をしていたら、それはそれは素晴らしいことであり
「自己満足」ではなく「善意」だと思います。

でも私は残念ながら卑しい人間で、善人ではありません。

もちろん猫が好きで、多くの猫を助けたいという気持ちはあります。
ってかめちゃくちゃでかいです。

でも、やっぱり少し…ほんの少しだけ…
いやごめんなさい。結構…

寄付してる自分かっこよくね?

と、自分に酔っているところがあります。
はい。ダサいですけどね。あるんです。
しょうがないです。ダサい人間なんです。

学生の頃の私は、老人に席を譲ることが出来ませんでした。

今ゆいが席を譲ったら、なんか偽善者っぽくない?
しかもゆい…ギャルだし。
ギャルが席譲るとか笑われちゃうんじゃないかな?
ギャルなのに席譲っちゃう私かっこいいって思ってると思われちゃうんじゃないかな?
だめだ!恥ずかしくて譲れない。
おばあちゃん…ごめんなさいごめんなさいごめんなさい(;_;)


これ、10代の私の思想。まじでバカ。
しかもね、譲れない自分が嫌で下むいて泣いたこともあった(笑)
でもね本当に恥ずかしかったの。
「どうぞ」の一言が言えなかったの。
だからね、今こうして偽善者ぶってることが嬉しいのよ。

うちの旦那はね、インドの貧困についてのテレビを観て
いてもたってもいられなくなって会社休んでひとりで1ヶ月インドの山奥の寺院へボランティアに行っちゃう人。
中越地震の時もすぐに現地に駆けつけて瓦礫の除去を手伝っていた人。
彼は本物の善人。

私は彼みたいな100%善人ではないけど、でもそれでも少しでも自分にできることがあれば嬉しい。

別にね、良い人ぶってていいと思うんですよ。
偽善者でいいと思うんです。
何もしない人間より行動する偽善者のほうがよっぽどましだと思う。

24時間テレビだっていろいろ叩かれてるけど、やらないよりやったほうがよっぽどいいでしょう。
芸能人と握手するために募金しに行ったって、行かないよりよっぽどいいでしょう。

偽善者を悪く言う風潮がそもそも間違っていると思うんです。
偽善だとしてもそれがウィンウィンだとしたら何の問題がありますか?

だから私は声高らかに言いますよ。

私は猫のために寄付している自分が大好きだから寄付しています!
と。

何もしていない人よりずっとマシ。
行動を起こしている自分を褒め称えたい←

私には夢がある。

いつか大金持ちになって、遺産を猫のために残す!

私には子供が出来ないので、たぶんこれからも子供を持たないので(黒人の養子が欲しいのはまだ諦めてない)
私の多額の遺産は世界中の猫のために使うのです!ははははは!

これもたぶん、偽善です。
私の命がけの偽善です。
でもそれでいいの。
私も幸せ。猫も幸せ。
最高のウィンウィンだ!

いるかわからないけど、昔の私みたいに「恥ずかしい」って思っている人に伝えたい。
偽善は恥ずかしいことじゃない。
偽善じゃなくて本当の善人だったらなおさら恥ずかしくなんてない。
何もしないよりもほんの少しお米一粒くらいでいいから行動することが大事。

おしまい。


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