私と演劇の歴史大全(1/27更新)


わたし0歳
姉とおなじ保育園に入園。
人数が少ない園だったからだろうか。のちに「誰かの誕生日の当日はその子がしたい遊びをみんなでやる」という今考えると中々キツいルールが作られる(私の学年だけかもしれないけど)。
かつ女の子が多い学年だったので、白雪姫ごっこや赤ずきんごっこという俗に言うおままごとが流行る。

年長
卒園式だか謝恩会だかで、お遊戯会をすることになった。演目は「ぞうのたまごのたまごやき」。私は途中で道案内する少年役。なかなかおいしい役である。全然記憶ないしなんならお遊戯会をすること自体がただの夢だったのかもしれないが、「ゆい花(実際は本名)ちゃんはお芝居がうまいねえ」と誰かに言われる。
恐らくここで演劇魂が形成される。

小学1年生
小学校が音楽会、展覧会、学芸会をローテーションでやる学校だと知る。つまり3年生と6年生でしかお芝居出来ないと知り、ショックを受ける。音楽会も展覧会もそこそこ楽しむ。

小学3年生
待ちに待った学芸会。希望役のオーディションをやると聞き、何役をやろうかワクワクしながら台本を読む。しかしやりたい役がない。メインの役も惹かれない。どうしようかなーと思っていたら風邪をひき、オーディションを受け損ねる。余ったうさぎ18に決まる。のちにうさぎ19の子が本番直前に体調を崩す。うさぎ18兼うさぎ19になる。セリフは合わせて2言なので問題なかった。  

と同時に、家庭教師ヒットマンREBORN!と運命の出会いを果たす。作品のオタクになる。  

4年生
リボーンのオタクに拍車がかかる。声優という職業を知る。軽率に声優になりたがる。
それまではアウトドア元気少女だったのに、一気にインドアオタクになった。今まで仲良かった子達と疎遠になり、オタクに理解を示す友達が増えた。  

6年生
2度目の学芸会。今度こそオーディションを受ける。おいしい役をゲットする。
自分が1番上手いと思っていたのでめちゃくちゃ気合を入れて演技をした。褒められたかは覚えていない。
ちなみにこの頃テニプリ、テニミュにハマっていたため、さらに役者業に興味を示していた。「来世はテニミュに出たい」と言い始める。  

中1
中学に演劇部がない。この頃まだひそかに声優になりたがっていたため、ちょっとショックを受ける。
文化発表会で学年劇があったが、勇気が出ず、家庭科部ということで衣装係になる。しかしなんやかんやありモブ役になる。みんなやる気がなかったので散々の出来。  

中2
勇気をだして学年劇チームに入る。しかしまたやりたい役がなくて音響係になる。卒アルにその時の写真が乗る。タイミングの鬼の顔をしている。  

中3
受験もあったけど、今年こそ役者をやりたくて学年劇チームに入る。この年は希望者が多く、一部のキャラをダブルキャストにし、シーンによって登場する役者を変える、という形で上演することになる。
(テニミュで柳浩太郎氏が事故にあったあとに遠藤雄弥氏とダブルキャストになった時みたいなやり方)

A組は一軍、B組は二軍って感じのパワーバランスだった。オーディションでB組の方に滑り込みで合格する。
しかし、A組の同じ役の役者が本番2週間前くらいに入院レベルで体調を崩す。
A組B組兼任することになり、セリフが倍増する。死ぬかと思いながらも練習し、本番は校長から「3年生は演劇部みたいでした!」と絶賛された。  

学芸会とかお遊戯会とかやってきたけど、この中3の学年劇で初めて明確な達成感を得る。熱い先生ありがとう。

ちなみにこの頃、まだ声優になりたい想いを捨てきれず、こっそり声優コースのある高校の体験授業まで行った。結局普通科高校に進路を決める。  

高1
高校に入る。演劇部、ある!!!入部。
大会があるんだーとかゲネって言葉を初めて聞くとか、あめんぼ覚えたりとかする。
カオスな新人公演を終え、夏公演(文化祭〜大会までのことを一括でそう呼んでた)で他校のレベルの高さを知り、ここはめちゃくちゃ激戦区だと気づく。  

演劇のノウハウを教えてくれる顧問の先生とかがいないタイプの部で、稽古方法やスタッフの仕事は先輩から受け継がれたものだった。今どうなっているのだろう。
夏公演を含め年4回ほど上演した。
あと部員がみんな絵上手いことが発覚する。

高2
多数決で部長になった。この年からキャラメルボックスにハマる。小中高生1000円を多用。
観劇をしまくった結果、演出の幅が広がる。さらに演劇が楽しくなって部に専念しすぎる。成績がめちゃくちゃ落ちる。
大会では、都大会進出は夢のまた夢なので、奨励賞を目指す。逃したけど楽しかった。  

高3
新入生歓迎公演でふざけまくる役をやり、引退。高校時代は最後のこの公演が1番うまかった気がする。
引退はしたが後輩と部室が好きすぎて入り浸る。そして夏公演の音響担当になる。引退とは?
奨励賞は逃したが力作で、みんな絵が上手いので二次創作が流行った。  

卒業間近、みんな受験が早めに終わったため、同期女子5人でサプライズ公演を企てる。ひたすらカラオケで稽古する。三送会で後輩たちが考えてくれた段取りをぶち壊し、サプライズに成功する。卒業。

あやふやだけどたぶん高2
劇部の子に知り合いが舞台やるから見に行かないかと誘われ、4人くらいで行く。初めて見た地下の小劇場演劇。何故か最前を陣取る。
今その団体が活動しているかはわからないが、ミュージカル劇団だった。歌う時にハンドマイクで歌っていて、当時は「声でかいしマイク要らんくね?」と思っていた。
当時の私へ 小劇場は簡単じゃないぞ。  

さらに高3
大学演劇を見に行った。
忘れもしない第1回駒場演劇祭。マーキュリーとプリズムを見に行った。
プロのような演出と芝居。さらに駒場の劇場。衝撃を受ける。
この時折り込みに入っていた劇団コギトも見に行った。
舞台までの距離感により役者の顔がよく見え、今までサンシャイン劇場のキャラメルボックスや広い舞台の2.5次元しか知らなかった高校生の私にはめちゃくちゃ響いた。
3公演とも、少ないカンパを払った。  

大1
前期、課題がえぐい。演劇やってる場合じゃねえ。そもそもサークルがねえ。インカレという選択肢も知らなかったため、演劇にほぼ触れない年を過ごす。  

しかしこの年の12月、プリンス・オブ・ストライド the LIVE STAGE(以下プリステ)と運命の出会いを果たす。
この頃原作とアニメのプリンス・オブ・ストライド(以下プリスト)のオタクをしていたため、不安なまま観劇した。
結果クオリティと原作リスペクトが今まで見たどの2.5次元よりも高いと思い、ハマる。
演劇欲が復活し、「プリステみたいな舞台に出たい」  とか言い出す。

大2
バイト代をぶち込み、プリステに足繁く通う2017年を過ごす。
そのあと年が明け、1月。Twitterで「佐藤佐吉演劇祭2018」のボランティア募集を見つける。1週間くらい悩み、応募する。
小劇場と初めてきちんと向き合うことになる。ここで人生が狂う(いい意味で)。  

大3
4月、佐吉祭で出会った豊川さんに誘われ、まさかの役者復帰。2年ぶりに芝居をする。
「今までの芝居はなんだったんだ?」と思うレベルで魂を込めた芝居をした(当社比)。
感動。7月、街の星座に入団。
そのあと8月にSAF、9月に東学祭と、急にめちゃくちゃ公演に参加する。忙しさで死ぬ。みんな死んでた。
でもシアターグリーンと王子小劇場に立てたのが嬉しかった。  

大4
4年といえば就活だが、4月末の公演に参加する決意をする。第1志望の二次面接が本番初日前日だったのがいい思い出。
「小屋入り中に抜けさせて貰ってんのに落ちてたまるか」という気持ちで面接を受けると通るので、演劇人は参考にどうぞ(?)  

6月
3年の後期から進めていた卒業研究の発表会で1人芝居を上演する。死ぬかと思った。  

8月
SAFの時に知り合った方にオファーをいただき、2人芝居の主演をする。人生初主演。衣装も担当してめちゃくちゃ気合い入れて演じた。楽しかったし(内容的に)めちゃくちゃ泣いた公演。  

9月
社会人劇団さんにオファーをいただき、ドキドキしながら稽古に行く。いろいろ難しくて反省点しか無かったが、芝居を褒められ嬉しくなる。
朝からバイト、午後から稽古というスケジュールは、毎日こなすものでは無いと知る。  

10月
実家である、街の星座本公演に参加。2チーム編成で、片方の主演、もう片方の音響オペ、両チームのメイクと衣装をやった。もうこんなの二度としない。死ぬかと思った。生きた。  

このころアクセサリーの指輪がスッカスカになり、親指にしか付けられなくなっていた。痩せたことに気づく。演劇はダイエット。  

12月
卒業研究発表会2回目。またも1人芝居を作った。死ぬかと思った。このまま1月末まで卒論を書き、学生フィニッシュ。  

3月
コ…(検索避け)のせいで卒業式と月末に控えていた公演が中止になる。浅草に袴だけ着に行く。

芸名の佐倉ゆい花を発表し、活動し始める。
2月に撮っていた鬼嫁ポトレと、自粛要請前の3月に撮った桜のポトレを公開した。  

社会人1年目
4〜5月
まるまる休み。やること無さすぎて病む。YouTubeばっか見る。
6月
飲食店の社員として働き始める。くそ忙しくてなんも出来なくなって病む。
病み続けて出勤中に泣いたりしながら半年くらい生きる。バイトのギャルたちは大好きだった。

9月
wokomeさんからのオファーを受け、「ヘヴン」に出演。この辺の撮影だった気がする。
YouTubeで見られます。映像芝居って難しいなあと実感する。

12月
正社員辞める決心をする。

2月
ただでさえ日数が少ない2月に有給消化しまくったためバイトみたいな労働日数で辞める。なんで1年待たずにやめたかと言うと3月の街の星座の公演に参加したかったからである。

この正社員時代、wokomeの他に2、3回ポトレモデルやアクセサリーのモデルをやらせて頂いた。今思えばこれらの活動は「佐倉ゆい花」としてのモチベを保つ理由になっていたと思う。ありがとうございました。

3月
街の星座vol.6にて声の出演と音響オペ、衣装を担当する。マスクを衣装に取り入れて、個人的にコ…と演劇について折り合いを付けた作品。

社会人2年目
5月
主宰の小川さんにいきなりDMをし、「えんそく」のvol.0公演に参加させてもらうことになる。変わった公演で楽しかった。
詳しくはこちら
https://note.com/yuikabocha/n/n0ba8742f690e

9月
東京若手演劇祭(東演祭)にU-25枠として街の星座で参加。久しぶりのがっつりした芝居と初人前ギターでやばかった(やばかった)。
詳しくはこちら
https://note.com/yuikabocha/n/n52e7175d075e

社会人3年目
5月
なんとヲタ恋の舞台の制作進行を担当することになる(補佐的な立ち位置)。
オタクなので、激ヤバだなと思いながら生きる。
とても大変だったが勉強になった。
そして影ナレを頼まれたりもした。なんてこったい。ご来場ありがとうございました。

6月
オーディション締切ギリギリに勢いで応募したすゞひ企画の公演に現地スタッフとして拾われる。絶対落ちてると思ってたからびっくりした。
(ちなみにオーディションで結果出たの初)
数日の稽古と小屋入り期間しか参加してなかったのに、暖かい先輩方に囲まれて終始楽しかった。
とにかくたくさん丸つけした。普通にお客さんとして参加してみたい。変わったスタイルの演劇で面白いので気になる人は調べてみると良いと思います。
ほぼ同時にオフトウキョウ「汝、気にすることなかれ」の衣装を担当する。スケジュールギチギチながらも楽しかった。

8月
ずっと知り合いが出てるから見に行くだけだった名前のない演劇祭についに参加する。商業2連続のあとなのでめちゃくちゃホーム感が強い。
街の星座で「シネマと偶像」出演、オトズレで「わたしたちの基地」声の出演をする。
わりと高評価で嬉しいし、考察を貰えたりして楽しい。声も褒められたので今後なにかしたい。滑舌を良くします

10月
ヲタ恋でお世話になった木村さんの衣装補佐として、リズムゲーム「プロジェクトセカイ」のリアルイベント、「神高文化祭」の中の演劇、「ロミオ〜ザ・バトルロイヤル〜」の衣装進行を担当することになる。
衣装早替えなどをしつつ、演出部の手伝いもしつつ、上手の袖から見守っていた。衣装スタッフの立ち回り方を学び始める。

11月
まちざラボ、「ヘッダ・ガーブレル」の衣装を担当する。実家なのに客演さんばかり、でもちょっと顔見知りもいる、という今までと少し違う環境の中、大お気に入り衣装が完成した。今後も使ってあげたい衣装がたくさんある。

12月
またまた木村さんの衣装補佐、衣装進行としてミュージカル「クリスマス・キャロル2022」に参加する。「こんなの見たことないな」を更新しまくるすごい舞台だった。なかなかハードだが楽しかった。衣装としての学びを深める。

未来
やりたいことをじわじわはじめています。お楽しみに。

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