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色恋沙汰のはなし

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恋や愛のことをあーでもないこーでもない言っています
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#ニート

曖昧な関係を清算しよう、夏。

どーでもいいオトコとくだらないことをしているほど27歳は暇じゃないから。 この夏は曖昧な関係に終わりを告げよう。 暑さで冷静な判断がつかなくなる前に。 寂しさに溺れてしまわぬように。 私が私を幸福にしてあげるために。 たとえば浮気をされた時に何が一番辛いかって、女たらしの嘘つき男にほんの一瞬でもほれ込んだ自分の惨めさをまざまざと突きつけられること。そのことがとても悲しい。 あなたは何も悪くないの。 私が大馬鹿者だっただけのこと。 相手にとってその程度の女だったことも悲

私の恋は名前を付けて保存

過去の恋愛を女は上書き保存、男は名前を付けて保存、なんてよく耳にするけれど、私の場合はバッチリ名前を付けて保存だ。 名前を付けて保存した上に、へったくそな小説にしたり、自分の気持ちを整理したりするためにnoteに書く。 どうしてこんなことを言い出すかというと、最近Amazonプライムビデオで胸がズキズキ痛む系の邦画(以下参照)を見漁っているから。センチメンタルの過剰摂取で窒息死しそうなのである。だから、呼吸が出来なくなる前に感傷を言葉にして酸素にする。スゥー、ハァ。 南瓜

運命の人のはなし

最近実は友達の紹介でバイトを始めました。労働はとてつもなくしんどいんだねぇ。今すぐにでも純粋な無職に戻りたい毎日を過ごしています。 梅雨前線が停滞しているせいか、今日はとてつもなく失恋モードなので、運命の人の話をします。(順接になっていないことは突っ込まないでください) 運命の人はなにも色恋の文脈に限った話ではないのだけれど、ここではやっぱり色恋における運命の人の話をしたい。 もし、運命の人がいるとして、その人に出会ったときにその幸運に気が付けるかはいつも自分にかかっている

夜のしじまに

恋や愛について最近よく考えている。恋に落ちること、愛することや愛されることを。愛がなんだという映画が世間的にかは知らないけれど、少なくとも私が観測しうるSNS界隈では大流行りしている。愛がなんだというタイトルが、そんな手垢のついた、他人のモノサシで決められた愛なんてクソくらえ、という意味であるのか私は角田光代の原作も読んでいないし、もちろん今泉監督の映画も観ていないので分からない。分からないことだらけ。 でも、『愛がなんだ』という少し乱暴なその語気にどうしてだか惹かれる。愛