ダイバーがコーディネーターを頼まれた時
人生は良きも悪きもどう転んでいくかわからない。
肝心なことはどう転んでも良きとする自分自身の心構え、姿勢みたいなものではないか。
今現在僕自身コロナの影響で仕事がいっさいなくなり6年半住んでいたフィリピンの田舎街を離れ縁もゆかりもない母が働いている山口県岩国市にいる。
母はパン職人を30年以上やっていて地域おこしのようなことをきっかけにここ岩国でパン工房とそれに併設する古民家カフェなどをやってきた。
僕はパンの仕事には今までいっさい関与していなくただただ夜中から夜まで働く母の後ろ姿しか見てこなかった。
女で一つで育ててくれ還暦を超えた母とあとどのくらいいられるのか、パンに育てられた所もあるのでパン作りがどんなものか、そんな親孝行とパンに恩返しする気持ちで超絶ロックダウンなフィリピンの田舎を飛び出し何とか運よく日本まで帰国することができた。
6年半ぶりの日本の生活、労働はなかなかストレスフルだが今後に繋がる日本でしかできないことを沢山経験し、何らかの恩返しと親孝行をして次のステップに行きたい。
今が人生の転換点かと言われるとそうだと思うし、どこにいて何をやっていようとも自分らしく活躍できる人間でありたいと日々奮闘中だ。
人生の転換点は急に訪れ一気に巻き込まれ気が付いたら自分の考えてもいなかった場所へ流してもらっていることもある。
5年前僕がフィリピンの田舎町(ドゥマゲッティ市)でまだダイバーやネイチャーガイドとしてしか働いていなかった頃、どういうきっかけかよくわからないけど急にメールで「ダイビングとは関係ないんですが、○○の相談に乗っていただけますか?や○○をやりたいと思っているのですがお手伝いしてもらえないでしょうか??」などのお話が増えていった。
断る理由もみつからないので、とりあえず会って話をしてみたり、メールで相談を受け始め「ご存知の通り1ダイバーですのでその範囲のことしかわからないと思いますし、やったことがないことだらけなので上手くできるかわかりませんがご要望でしたらやるにはやってみます」
と答え、思いがけず依頼してきた人はほぼみんなそれでもお願いしますと仕事の話に発展した。
一番転換点になったと思う依頼がビーチリゾートを作りたいというもので
最初農業をやりたいと言われ農地を探し良さそうな飼料や農具や農園をいろいろ見学して周り、ある程度固まってきた所で「ところであなたは何がやりたいの??」と質問されもう10年以上ずっと思い描いていたビーチリゾート、そのためにマレーシアの無人島リゾートの開発や運営を手伝い、日本でもいろいろ自分で見れるようにマッサージやスパで働き、バーやレストランで働きいつか自分でやろうと思っていたビーチリゾート、僕はとっさに「ビーチリゾートです!」と答えていた。
「じゃあそれをまずやろう、それから農業でもいいよ」とその時の僕には拍子抜けするぐらい簡単に言われ、いきなりビーチリゾート創設の道に入った。
人生には何が起こるかわからない、10年以上思い描き動いてきたビーチリゾートへの道がたった一つの質問で急に切り開かれる時もある。
ただただ諦めずに思い続けていけば叶ってしまう時もある。
こうしてダイバーはコーディネーターになり海や自然だけでなく様々なことと繋がらされていく
流れるままに流される時も必要なのかと思う。
思いがけず長くなってしまったので次回に繋げます
お読みいただきありがとうございました。
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