緩和と、延命(愛猫の看取りについて)

愛猫の旅立ちにあたり、延命は絶対しない!と心に誓っているのですが緩和と延命は、切っても切り離せないものです。まさに表裏一体。

痛みや苦しみを和らげるために緩和治療をすれば、体力が温存できる。  つまり、延命にもつながります。

苦しくないように、緩和治療を…と望むのは当たり前。でも、それによって闘病が長引き、かえって苦しむ時間を増やすだけじゃないのか?

そう悩まれる方はたくさんいると思います。私、今、ものすごく悩んでいます。

よく、ドラマなんかで「あとはこの人の気力次第です…」なんてセリフがあります。ずっと私は最期は精神論なんだなあとみていましたが、違う。

本当に、体力がどれだけ残っているかで、乗り超えられるかどうかということなんだ、と遅ればせながらやっと理解できました。

「死」がこの世で一番怖いもの、この世の終わりだと認識している私。

いろいろ調べていく中で、終末期のターミナルケアとして「枯れるように逝く」ことを目指す、という記事をたびたび目にします。

「過剰な治療はやめて、穏やかな旅立ちを迎えさせてあげましょう」

「最期は腕の中で看取ってあげましょう」

とってもわかる。わかる、けど。できることなら、誰だって望むことだと思います。

でも、現実問題、懸命に生きている愛猫を前に、命の灯がまだしっかりあるのに、「もう、頑張らなくていいよ」と治療をやめる覚悟。

治療をやめる イコール、 私がもっとも恐れる「死」を迎え入れることになる。

そして、治療をやめたから穏やかな死がくるわけではないという事実。

更に付け加えるならば、今の社会の中で最期を看取れる人がどれだけいるのでしょうか。

  現在のSNS時代の中で、いろいろ検索しても、やっぱり懸命に治療、介護をされてやりきった(看取られた)方の、いわば結果論のような言葉というのは、非常に参考になると同時に、今、旅立ちに寄り添おうという私にはプレッシャーに感じてしまいます。

最期苦しめてしまったら、一人で旅立たせてしまったら、どうしよう。と。

それもすべて、「死」を考えないようにしてきたせいなのかと、動物、人間問わず「死」についてひたすら読み漁って、考えています。

なるほど、そういうとらえ方をするんだ、と思いつつも、やはり直面すれば受け入れられない自分。

noteを始めたのは、頭の中を整理するのと、誰にでも訪れる「死」について、認識を改めようと思ったのがきっかけです。


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