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47.僕が僕であるために

自分の視点というのはエゴや偏見により出来ているのではないでしょうか。
それを見方を変えると個性と呼ばれます。

人の言うことは聞かなくていい。
挑戦は最初は否定される。他者の意見は耳に入れるな。

このような話もある意味正解となる事もあるでしょう。
しかし前提として自己認識が出来ているかというのが大切になってくると考えています。

まずエゴや偏見に気づくことは、一人ではなかなか困難です。

私たちの見えている世界というのは過去からの予測で出来ているので、同じ茶色の飲み物を見た時に喫茶店であればコーヒーに見えるであろうし、ペッドボトルに入っていればコーラに見えるかもしれません。

それはあなたの経験や予測により「こうなっていれば〜なはずだ」とルールをつくり生きています。

このことをスキーマと呼び様々なところに使われています。

自分という存在に対してもこのスキーマが使用されます。

他者や動物、自然との関わりの中で自己を認識し、自己存在の意味を見出します。

つまり他者がいるからこそ、自分が存在し、自分がいるからこそ、相手が存在するのです。

よく自分なんていなくてもこの世の中は存在すると悲観的な考えを耳にします。

自分がこの世界にいなくても、世界は確かに存在するでしょう。

しかし、自分がいるからこそ、この世界に意味があり、世界は成り立っているとも言えます。

この相互依存の関係性は、私たちが地球の一員として生きる上で非常に重要な気がしています。

私たちの存在は、他者との関係性の中で形成されます。
そしてこれは一つではありません。

友達の前での自分。
両親の前での自分。
仕事での自分。
様々なスキーマをつくりあげてあなたは生きています。

客観的に見ることは難しいですが、他者との対話を通じて、内面を理解しようとすることが自己認識を深める方法です。


この世界における自分の役割を考える時、私たちは自分が社会にどのように貢献できるのでしょうか。

自分がいなくても世界は回りますが、自分が存在することで、世界に何らかの影響を与えていることを忘れずにいたいと思います。

私たち一人一人が、この世界に独自の色を加え、世界を豊かにしています。

結局のところ、生きているだけで丸儲けなんだと思います。

特別な見方をしなくても世界はより美しく存在します。
自分と他者、そして世界との関係性を大切にし、自分の存在が世界にどのような影響を与えているかを俯瞰的に捉えていけるといいですね。

僕が僕であるために。

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