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私は、さよならの先で君に会う

今日、世界の始まりで君に問う。


君が私(僕)を忘れても、私(僕)が君を憶えている。


開いたページはどこにでもあるような恋愛小説の有り触れた一節だった。僕と私で分けられた文章はどちらにも取れるし、どちらにも取れない。

忘れてしまったらそれが全てだろう。思い出す事さえ叶わないのなら、次はないはずだ。選択はいつだって間違え続けた。どこから間違えのかと言われても、始まりはずっと前、もしかすると子供の頃かもしれない。

合縁奇縁。人との巡り合いは気が合う気が合わないなどする事もあるが、これも全て不思議な縁という運命で出来ている事。

誰かを愛するのも偶然と思えた出会いも別れでさえ、全てが運命という目に見えない大いなる何かに仕組まれていたという考え方はいかがなものだろうか。

だって、最初から全てが無駄だったみたいじゃないか。


頬に熱が伝い唇に落ちた先、それは唇の熱に負け冷たくなった。ポロポロと、立ち尽くす部屋の真ん中で朝陽が差し込み涙を光らせた。

明日、世界の終わりで君に問う。
君は今、幸せか?

分からない。私には何も分からない。だってこの文章に応える術を持ち合わせてはいないのだ。

誰に宛てたかも分からぬ問いかけ。たった二行の短い文章。けれどそれには人生が籠っている気がした。長い長い生の時間と喪失に対し見えもしない希望を抱きしめているようだった。

愛の言葉だった。

「分かんない」

涙がまた頬を滑り落ちる。唇に当てた人差し指が熱を奪っていく。この唇から熱が無くなってしまった時、それが言葉にならぬ今の感情を忘れる最後だと頭が警報を鳴らした。

「分からないよ」

溢れ出る涙に太陽が眩しくて手の平で顔を覆う。ばさりと音を立て落ちた小説のカバーに雫が落ちる。けれど水を弾く加工がなされているからなのか、それは水滴としてカバーの上に乗ったままだ。

私はどうしてこんなにも悲しいのだろう。こんなにも苦しいのだろう。心臓が締め付けられ呼吸が浅くなり嗚咽が口の端から漏れ出す。しゃくりあげ肩が激しく上下する。まるで産声を上げた子供のように馬鹿みたいな姿で泣いた。

心に、穴が空いている。

ぽっかりとした空洞だ。背骨を貫通し背後の扉まで見えるこぶし大の大きさで、自分の手の平では隠しきれない空洞。風が吹く度音を立て身体が軋む。

何かを失った。世界で一番、大切だと思っていた何かを。人か物か目に見えぬ存在なのかは分からない。ただ、何かを失ったのだけは分かった。こんなにも痛くて辛い気持ちを味わった事など、人生で一度も無い。

制服の袖が涙で濡れ少しばかりの落ち着きを取り戻した私は着替えようとクローゼットに近づいた。扉を開けた先品のある服が並んでいる中で白いパーカーが目についた。

一度も着た事が無いパーカーだった。母が寝間着代わりにどう?とサイズの大きい物を買ってきたのだが、フードがついた服を着て眠ると寝癖がついてしまうから嫌で、でも買ってきてくれた手前そんな事を言うのは申し訳なくてしまい込んだ。

それが、何故か目についた瞬間再び涙が溢れ出した。

「何で、」

触れたら何かが分かるだろうか。けれど手に取った所で何も変わらない。制服を脱ぎパーカーを被った。長袖の白いパーカーはダボっとしていてスカートが見え隠れしていた。

何故か私は紺色のがま口リュックを掴んだ。そこに詰められるだけの下着、靴下、必要な物を詰めていく。着替えでパンパンになったそれを何故か私は抱きかかえた。

リュックに顔を埋め何度も息を吸っては吐き忘れた事を思い出そうとする。けれど何も変わらない。

だから、知らなければならないと思った。

本を手に取った。唇にはまだ熱が残っていたがもう消えてしまいそうだ。立ち尽くしままの部屋で私はどうしてか、先程の男性が言った言葉を思い出す。

『どうしようもないくらい不器用な愛情に生かされたんだ』

「行かなきゃ」

どこになんて分からない。誰になんて知らない。ただこの時代にはもうない場所へ。死んでしまった人へ。名前すら知らぬ土地の、人の、一瞬に、私は会いに行かなければならない。

心に空いた穴は、それでしか埋まらない。

踵を返した。部屋の扉を乱暴に開け放ち玄関から外に出る。朝の早い時間に人の気配はない。私はごめんなさいと言った。それは他でもない両親に向けてだ。

「自分勝手な娘でごめんなさい」

リュックの肩ひもを握り締め泣きながら走り出した。二人は私が家を出た事など気づいてはいない。数時間後、部屋にいない私を見て酷く動揺し悲しむだろう。でも、それでも。私は行かなければならない。

机の上、失くした物を探しに行ってきますとだけ書いた紙を二人がどんな気持ちで見るのか想像するだけで苦しかった。

けれど、行くのだ。

青臭いと言われようと、この直感が間違っていた日に気づいたとしても。私は。


私はさよならの先でなんて待ちたくない。


「い、た!!!」

上がる息を整える事も出来ず、瓦礫に埋もれた旧市街の片隅に先程の男性はいた。こちらを見て酷く驚いた顔をしている。けれどまた、悲しそうな顔をして笑った。

「後悔のない選択をって僕は言ったんだけどな」

「そ、んなの、分かんない!」

旧市街の片隅は犯罪も多く、違法なタイムトラベルが行われていた地域でもあった。法が整備されてから今はすっかり見なくなってしまったが、それでもタイムトラベルマシンが無くなったわけではない。

ポット型のそれは人が一人入るくらいのスペースしかない。けれど男性は扉を開けた。

「もう一度言うよ。君はこれに乗ったら二度とこの時代には帰れない。両親にも会えず、君を知っている人間がいない過去に行く。それでも乗るのか?」

「私は、」

私は。息を大きく吸い込んだ。また、涙が零れ出した。

「行かなきゃって思ったの」

男性は呆けた顔でこちらを見た。

「理由なんて分かんない。誰に会うのかも、どこに行くかすら知らない。でも、行かなきゃって、心に空いた穴を埋めるには、時間旅行じゃなくて過去に行かないと一生埋まらないって思ったの」

手の甲で涙を拭う。履いていたスニーカーの靴紐が解け掛けているのに気づいた。

「青臭いって言われようが、報われないって言われようが」

それでも。

「私はさよならの先でなんて待たれたくはない」

口にすれば心にストンと落ちていった言葉は私の涙を止めさせた。男性は呆気に取られていたがしばらくして笑い始める。そして私に手を伸ばした。

「僕の名前は江崎。江崎創吾」

「合内海砂」

「知ってるよ。過去で君と話したからね」

「そう」

狭いポット内で二人、背を合わせ収まり扉を閉めた。江崎創吾は私に、目の前のディスプレイを触ってと指示した。

「一応二人乗りなんだよ」

「この狭さで?」

「そう、これでも必死に探したんだ」

ディスプレイにはあらかじめ設定された日付が表示されている。この時代の春だ。

「同じ日付、時間に飛ぶ事は変えられない。でも場所だけは変えられるから君の行きたい所を打ち込むといいよ」

「……分かんないんだけど」

「ああ、そっか。じゃあ印象深い風景は?多分想像した所に連れて行ってくれるよ」

そんな事言われても。冷たくなりかけた唇に指をトントンとつつきながら考える。早くしてと言われたが何も思いつかなかった。

けれどこの時代の春に、桜が見たいと思ったのだ。

「桜が見える場所」

「……愛縁機縁だね」

桜が見える所と打ち込むと、大きな音が鳴り身体が揺れ始めた。

「君はきっと思い出せる!!」

「どういう事!?」

壊れてしまいそうなほどの音と落ちていく感覚、扉の向こうに見えていた旧市街は見えなくなり代わりに彗星のような流動線が無数に伸びていく。

「時間旅行者としてエネルギー体でその世界に存在していただろう!?」

「憶えてないけど多分そう!!」

「ならまだエネルギーの欠片が世界に生きているはずだ!あれの寿命は三年だったはず!」

「そうなの!?」

「今君が熱いと感じてる箇所はある!?」

「……ある!!」

「なら着いたらそこに触れて!うまくいけば思い出すかも!」

時間旅行者はエネルギーで形成された身体で旅行をする。それは決められた期間を過ぎると消え去り過去の世界で光となっていく。しかしエネルギーにも少しばかりの難点がある。それは熱を残す事と過去の世界で完全に消えるまでの時間がある事。

それが三年であるのは初めて知ったが、過去にも今にも何ら問題のない事なので重要視されていなかった。けれど、この唇に残るのが記憶の欠片だと言うのなら、私はそれを頼りに行くしかない。

ごとりと大きな音がなり視界が真っ暗になった。いつの間にか、背中から温もりが無くなっている。え、と声を漏らす前に眩しいくらいの光が目に入った。次に冷たく打ち付ける水滴。そして。

落下の感覚。

「はぁあぁあ!?!?」

どしんと、冷たい地面に打ち付けられた。目を開いた先、泥だらけのテラコッタに桜の花びらがへばりついている。手のひらに痛みを感じ見てみれば血が流れていた。膝も痛い。多分、すりむいているに違いない。

頭上から降るのは恐らく雨だろう。けれど何故か眩しいのはお天気雨なのだろうか。風が強く吹き髪を乱れさせた。邪魔だと思いながら押さえた時、指先が唇に触れた。

その時だった。


「合内……?」

声が。聴こえた。

それは忘れてしまった声で。どうしても忘れたくなかった声で。唇に触れた指先から熱が走馬灯のように脳内を駆け巡り、声の人物を失ったはずの記憶の中から見つけ出した。

涙が、零れ出した。

今、私、酷い顔で泣いている。

酷い顔で、笑っている。

顔を上げた。視線の先、最後に会った時からあまり変わらない姿の君が透明のビニール傘から手を離した。地面に傘が落ちる。目が合って君が、あまりに酷い顔でこちらを見るから。私は何だかおかしくなってしまい笑った。

春の雨が、愛情のように降り注いだ。

「問いかけに返事をしなきゃと思って」

口を開いた私に、瞳に涙を溜めた君。

「全然幸せじゃなかった。さよならの先で待たれても嬉しくなんて無いし、憶えてなかったからより苦しいだけだった」

花びらが髪についた。

「だから今日、世界の始まりで君に問う」

一度息を吐く。思いっきり笑ってやった。

「機島くんは今、幸せですか?」


これは、さよならの先で君に会う物語だ。

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