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キューバの日々。動かない時計

ハバナでスリとぼったくりに合い、いそいそとサンティ・スピリタスという小さな街に来た。1514年に建設されたスペインの植民地都市で、現役で馬車が活躍している、ロマン溢れる街並みだ。

ただ、観光地ではあまりないらしく、旅人である私にとって生活するのが難しい。店自体かなり少ないのに加え、看板もなく、街を歩いて人に聞くしかない。水を買うにも、レストランに行くにも、30分は歩き回った。Googleマップは全く当てにならなかった(ちなみに、街の人からきく情報は、3割くらいの打率だった)。

カメラをぶら下げて歩いていると、子どもたちに話しかけられ、仲良くなった。写真を撮ってほしいとせがまれ、街を歩きながら撮影をする。あっという間に日がくれる。キューバでは政府により、2日に一回くらいのペースで数時間停電するのだけど、その日も例の如く停電した。
「停電した時は何もしないで、みんなでおしゃべりしたりして楽しく過ごすのよ」
そう言われて、子どもたちに連れられて、真っ暗な街をだらだらと散歩した。家々からは、いつものように人々の話し声、笑い声で溢れていた。こんな停電の夜は初めてだった。あまりにも平和で、スマホの電池がいつまでもつのかソワソワしている自分が馬鹿みたいに思えてくる。何時に停電が終わるのか聞いたら、すぐにどこかに電話して、停電が終わる予定の時間を教えてくれた。それもまた、絶対にGoogleには載っていない情報だった。月と怪獣電灯の光だけの世界は、いつもの夜よりもずっと明るかった。
「大好きだったスパイシーなお菓子も、メキシコのチップスも、この街ではもう手に入らない」
売店でお菓子を買いながら、彼女たちは残念そうに言った。
カサ(宿)に戻り、何もすることがないので、iPadを使ってみんなでお絵描きをした。iPadはどこで、どうやって手に入るのか、いくらするのかを、しきりに聞いてくる子がいた。咄嗟に思うのだ。きっとこの先大きくキューバの社会が変わることはないのかもしれないけど、この子たちの未来は一つでも選択肢が増えていますように、と。

毎日街を歩いていると、人が群がっている場所があることに気づく。後々聞くと、アメリカ移住した親戚が送った外貨をおろす人たちで銀行は人が群がっており、また、いつくるかわからない物資を待ち続ける人たちで配給所は群がっているとのこと。たしかに、仲良くなるキューバ人の多くは、サラリーの低さを訴えていた。

よくよく調べると、コロナのパンデミックで観光客が激減したことや、アメリカによる政治制裁などの要因があって、今は経済的に最悪のタイミングらしい。年々アメリカへの移住者は増え、物価は上がり続けている(30個入りの卵の値段が、平均的なサラリーの半分もすると聞いた)。食品も飲料品も生活用品も、街にあるモノがとにかく少ない。日々を過ごせば過ごすほど、独特の閉塞感が五感に伝わってくる。

わたしの実家は貧乏だった。ブラウン管のテレビ、古くなった畳、何年も着ている服、食器、家電、そういうもので溢れている家だった。父はエンジニアをしていて、帰ってくるのがとても遅く、家のことにはあまり関心がない人だった。母は主婦をしていて、とても真面目な人で、お金を節約して子どもたちを大学まで出させること、それだけをミッションに生きてきたような人だった。
だから、お金をたくさん使うことはよくないことだ、どれだけ安く暮らせるかが生活の最優先事項だ、そういう考え方が家に根付いていた。どんなに古いものでも使えるものは使い、生活に不要な新しいものを買うことはほとんどなかった。物心がついた時から、「これがほしい」と懇願することはなくなっていたし、質素な家が恥ずかしくて、友だちを家に呼ぶことはあんまりなかった。
それでも、親は大学に出すためのお金を貯めてくれていて、わたしはその恩恵で大学に行って、東京に出て、大人になった今稼いだお金を使って、こうやってキューバにたどり着いた。

カサの時計が止まっている。正確にいうと、チクタク動いてはいるけど、秒針が44秒のまま、ずっと11:42:44を指している。時が進んでいるのか、止まっているのか、よくわからない。

このカサは1400年代に建てられたのだと、宿主のおじさんが言っていた(信じがたいけれど)。建築美を眺めてはうっとりしつつ、この建物は何千年もの間、ここに住む人々を見てきたのだと思うと不思議だ。なんだか建物が感情を持って生きているような感じがするし、その中で暮らしている自分は何か大きなものに飲み込まれている感じがしてちょっと不気味なのだ。時々、家からパサっと音がする。壁の塗装がはげて、床に落ちる音だ。時間が進んでいる感じがしない。少なくとも、日本で感じる時間の進み方ではない。

カサだけではない。街全体の時間が動いているのか、止まっているのかわからない。人々は何もせずに日陰にただ腰掛けたり、世間話をしている。売店やレストランの人たちは覇気も笑顔もない。モノの種類が少なくて、売店に並ぶ商品はどこもほぼ一緒だ。新しい発見は特にない。楽しそうな話し声の間に、誰かが誰かに向かって叫んでいる声が聞こえてくる。パカパカと馬車が通り過ぎていく。毎日、毎日。ずっと耳鳴りがしている感じがする。

街全体が、何かに飲み込まれているように思える。それは、きっとこの先も、今と同じような風景がずっと続くんだろうという、予測可能な膨大な時間なのかもしれない。しっかりとした質量を持ち、じんわりじんわり、のしかかってくる。気づいたら動けなくなってしまうんじゃないかという、こわさをもって。それは、実家に帰省した時に感じるものと一緒だった。

わたしの母は極度の心配性だ。何も起きていないことを想像しては、ストレスを感じ、夜もよく眠れないらしい。子どもの頃にあった嫌な記憶を紐解くと、母の心配性から来ていたんだなと思うことがあまりにもたくさんある。変わっていくことがこわい人だ。また、深い愛情を持っている人でもある。だから、いまだに、どうしていいのかわからなくなることがある。この街の景色を眺めながら、遠い遠い日本の実家のことを、よく思い出す。

確かに、変わっていくことはこわい。でも、私は身体的に移動をし、見える景色を、会う人々を、話す言語を変えながら、旅をするように生きていきたいんだと気づく。人と出会い、別れていきたいんだと思う。変わり続けること、変わり続けていける、ということに、希望すら抱く。そうして、絶対的に変わらないものの大切さを、ちゃんと感じていたいんだと思う。キューバという場所が、そう思わせている。

キューバの生活についての情報は、Googleには載っていない。滞在日数を重ねれば重ねるほど、聞きたいこと、知りたいことがどんどん溢れてくる。
月給いくらもらっているのか。
リッチなキューバ人とそうでないキューバ人がいるのはどうしてなのか。
すられた財布に入っていた金額は、どれほどの価値があるのか。
なんでこんなにご飯が美味しくないのか。
なんでこんなにモノがないのか。
昔はモノがあったのか。
キューバ人は外食しないのか。
毎日休みのようだけど、みんな働いているのか。
何の仕事をしているのか。
何時間働いているのか。
そういう質問で溢れては検索し、知りたい情報に辿り着けず、虚しい気持ちになる。絶対にわたしはキューバ人の人生を同じ目線でみることはできないんだろうなと思う。それは仕方ないことだ。でも、その事実をうまく受け止めきれずに、すごく孤独感に襲われる。同じ場所にいるけど、絶対にわかりあうこと、わかちあうことはできないんだろうなと思えてくる。それでも、この街で出会うキューバの人々はみんな、ひたすらに陽気で優しかった。

一言でも多くスペイン語で会話したいと思い、スペイン語入門本を買い漁ったのは、はじめてだった。
英語を話せるキューバ人を見つけたら、質問攻めにしたこともはじめてだった。
みんなが幸せに、また少しでも自由に暮らしていけますようにと、何度も何度も思う。でも、もう二度とこの場所に来ることはないんだろうなとも思っている。そんな旅先も、はじめてだった。

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