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ペルーの日々。こころの灯台

朝起きて、リビングに行くと、リッキーがたくさんのパパイヤを使ってフレッシュジュースを作ってくれていた。気がついたらもう10日以上もここで暮らしている。この日は滞在最終日で、彼の姿を見たら自然に涙が溢れた。泣きながら、ここでの暮らしが自分にとてもフィットしていて、かけがえのないものだったんだということにはじめて気づく。

南米ペルーにやってきた。リマ空港から12時間、夜行バスに揺られて、パカズマヨという小さなサーフタウンにやってきたのが、もう何日も前のことだ。観光地として全然知られていないこの街の情報はあまりなく、「ペルーで各所ロードトリップをしたが、パカズマヨ一択。いい波がコンスタントにある」という名前も知らない人のブログの情報だけを頼りに来た。朝方、バスのカーテンをそっと開けると、赤茶色の砂埃だけが立ち込める大地のど真ん中にいた。壮大なその景色に、ドキドキした。

着いてすぐに友だちができ、その人の友だちがリッキーで、2日目で一緒に海に入った。初めての南米一人旅、治安にビクビクしながらやってきたのが嘘みたいだった。
「遠く離れた異国の地で過ごすのは大変なことだと思う。友だちとして君を助け、分かち合えることは、僕も嬉しいよ」
リッキーの家はまだ準備中の宿で、ホットシャワーもWi-Fiもなかった。だから、別の宿にするか少し悩んだのだけど、リッキーがかけてくれたその言葉で、なんとなく彼の宿にお世話になることにした。

家は海の目の前にあった。また、朝一から宿の工事がはじまるので、二度寝などできない。そうして自動的に起こされて海に向かう。いくつかサーフィンができるポイントがあるのだが、なんだかんだ家から近く一番波の大きいポイントに入ることが多かった。そこはfaroという名前で、名前の通り大きな灯台が目印になっている。ポイントブレイク(波に乗れる場所が決まっている)なので、灯台を目印に自分の位置を確認しながら、波を待つ。でもこのポイントは潮の流れが強く、流されては元に戻ることを繰り返す。そうしていると、体力がどんどん奪われて、大きい波にのまれて一本も乗れずに海からあがるなんてざらにある。いい波はすぐそこにあるのに、乗れない自分が不甲斐ない。それでも海に向かう。毎日、毎日。

家の周りには何もなく、夜は真っ暗になるので、昼間は街に出かけたりして、日の入りともに家に帰る。同じタイミングでリッキーは仕事に出かけ(彼は日中は宿の準備をしながら、夜はセメント工場で働いていた)、わたしは静かなキッチンで夜ご飯をつくって食べる。わたしたちが顔を合わせるのは大体朝で、朝ごはんを一緒に食べたり、時間が合えば一緒にサーフィンしにいく。そんな生活だった。

そんな彼と、わたしは出会ってすぐに喧嘩をした。宿代、サーフボードのレンタル代金、その他諸々の料金を後出しで伝えられたからだ。騙されているような感じがした。信頼していたからこそ悲しかった。会って間もない人に、自分の考えや気持ちを丸ごと伝えるということは初めてだった。結局私の主張を理解してくれて仲直りしたし、よくよく聞いたらちょっとした文化の違いから起きてしまったことのようで、少し申し訳ない気持ちになった。日本では、人と喧嘩することなんて全然なくて、自分の勇気にびっくりした。

「あなたは勇気のある人だ」
女一人旅をしていると、よく言われる。その中でも海の上で知り合ったその人は、何度もわたしにそう言った。誰もいない海に、現地の人ではない、しかも女性が一人でサーフィンしている、その状況にとても驚いたのだそう。宿に帰ろうとしていると、わざわざ車で迎えに来てくれて、そのまま家まで送ってくれた。リマ出身の彼の名前はエドワードといい、パカズマヨで開催されるサーフィンの大会に参加するためにここを訪れたと言った。

サーフィンの大会は、ペルーの各所をツアーしていて、その主催者と古くからの友だちなんだと言った。わたしと同じような年齢の時に、一回り先輩のその人に出会って、それがきっかけでビッグウェーブに挑戦するようになったこと。自分が彼にもらったものを、わたしのような次世代に伝えていきたいこと(驚いたことに、エドワードはわたしの親と同じ年代で、わたしと同じ歳の息子さんがいて、彼もサーフィンをやっているらしい)。それ以外にも、ペルーやわたしがこの先に訪れる旅先のサーフィン事情など、本当に色々なことを教えてくれた。
とても興味深く話を聞いていると、エドワードはすかさず、「あなたの話が聞きたい」と言った。拙い英語で自分の話をするのは恥ずかしかったし、語れるほどの人生ではないような気がする。それは、英語が下手だからと言うわけではないような気がした。そういう時に、メキシコ人の友だちの言葉を思い出す。
「何も伝えることが無かったとしても、それを伝えること自体がすばらしい」

「出会いにすべてを任せて、漂流するように過ごす」
わたしがこの旅の初日に、唯一決めたことで、具体的な目的は何もない。
今この文章を書きためながら、わたしは今リッキーにおすすめしてもらったイキトスに移動している。エドワードから教えてもらった、スペインにあるサーフタウンにも行く予定だ。そうやって、人からもらった色を、自分のキャンバスにのせていく。

旅をしていると、目的なんて名目だけで、もしかしたらどうでもいいことのようにさえ思える。自分の意思を持つことはできるかもしれないけど、自分の運命は世界に託されるからだ。自分のやりたいように突き進んでみて、その先に想像し得ないものが待っている。それは、人からもらったものなのだ。同じように、きっとわたしも出会ってきた人たちの運命に携わっているんだろう。
もし、自分の人生が自分だけのものではなく、関わる人全員のものだったら、と思う。一緒に過ごす中で、色々なものをあげたり、もらったりすることで、一つの生命体として変化していく。人は他人にはなれない。永遠に孤独だ。でも、きっとその生命体の一部になること、少なくともそう想像することで、世界をもっと好きになれる。自分の運命を思い巡らせ不安になる必要はまるでないのだと思う。
波に乗れなくても毎日サーフィンに行く。毎日カメラをぶら下げて街の写真を撮る。あいた時間にスペイン語を勉強してみる。そういう営み一つ一つが自分を自分たらしめ、まだ見ぬ世界に連れて行ってくれるのだ。

地球の裏側に、帰りたいと思う場所が一つ増えた。人に、街に、お別れをするのがこんなにも寂しくなる場所が。サーフィンしながら何度も振り返ったあの灯台を思い出す。帰ってこれるかはわからないけれど、そういう場所があること自体が、わたしの灯台になってくれるだろう。ふとした時に振り返っては、自分の位置を確認するんだろう。旅に目的があるとしたら、そういう場所に出会うことなのかもしれない。

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