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「お喋りのお作法」の話。

Guitaristのタナカ裕一です。noteはじめました。

「お字書き道TALKSの記事」から借りて来た画像
話し相手⇒書き手。ですね


誰かと接する。会話をする。そのときにアナタはどんなことを前提としますか?可能なら喜ばせたい楽しませたいとか、最低限、相手を不快にさせないとか概ねそんなところでしょうか。

では、相手がどう言うことで不快になるかについてはどうしたらわかるのでしょうか?わかりようが無いと思います。

不快な話題。

ネコちゃん可愛いですよね。ワンコもかわゆい。でも、猫に引っ掻かれた、犬にかまれた傷からバイ菌が入って母を亡くしました…そんなことはわかりようがない。

それでは天気の話ならあたりさわりないと思うでしょうが、私の父は天気の話をしているときにダンプに轢かれて死にました。だから「天気の話」は父の死を思い出すので、やめて頂きたい!!(嘘ですが)


つまり何の話題であっても、相手を不快にさせる可能性がある。しかし何も話さないのは意味不明なので、ならば何の話題でもOK!と言うことになる。

これは当然の帰結。

相手が○○の話題は避けて欲しい、と言った場合でも、「○○の話題を避ける」ことがワタシにとって不快である可能性が考慮されていないので、これも不敬。却下。

「話題は何でもいい。」


喜ばしい話題。

結論を先に書いてしまうと、そんなものもありません。非実在。

猫が好き、犬が好き、天気が好きな相手に、それらの話をしたときにそれが喜ばしい話題である保証はありません。筆者であれば音楽が好きですが、音楽についての知識量、解像度が異なる相手と音楽の話をしても、ほぼレクチャーになってしまうし、その話題を振られたからと言って相手に合わせた音楽の知識で対応することも正直、仕事じゃないんだし、疲れるから嫌です。

音楽の話なんかしたくない。と言うことで、喜ばしい話題を想定することは出来ないので、喜ばしい話題も存在しません。

○○の話題が喜ばしいであろうと想定して話題を振ったがために、相手はサービス精神で苦痛を飲み込んで対応して下さっている可能性があるので、とにかく○○の話題が喜ばしいと言う前提を持つのは不敬。

また、喜ばしいと思ったら、実際は不快と言うことがあるので、かと言って何も話さないのは意味不明なので、ならば何の話題でもOK!と言うことになる。これは当然の帰結。

「話題は何でもいい。」


「話題は何でもいい。」

話題は何でもいいのだ。と言う前提を双方が持っていないと、不敬が生じます。


話題をどう取り扱うか。

では話題は何でもいいとして、自分の飼い猫の可愛さについてただただ話し続けて来る相手がいたら、そんなの1行で終われ。それを聞いて何になる?と思うかもしれません。

もしくは猫の話をするのがそもそも禁忌である地域だってきっと世界にはあって、相手はそこの出身者かもしれませんが、かと言って「話題は何でもいい」のですし、しかしこの場合であれば相手はおそらく猫に関する知識があまりありませんし、猫に対して好意的なイメージを抱くことをナンセンスにしか感じられない可能性も高く、意味不明の話になってしまうかもしれません。

なので、自分の飼っている猫について可愛いと感じる。それには○○と言う理由が存在すると言う仮説があるのだが、それについて貴殿は(貴女は)どう言った尺度、見解をお持ちでしょうかな?の形式にする必要があります。

話題の背景にある情緒を主題にするな。
ロジックが主題なら万国共通でひとまず話題にはなる。


それでも相手に気を遣う。

幾ら主題がロジック部分だったとは言え、ワタシの母は猫に引っ掻かれた傷が原因で亡くなったし、父は天気の話をしている最中にダンプに轢かれて肉塊と化したので、可能ならば同様のロジックを抽出可能な別の題材をモチーフにして欲しいな…と思うことがあるかもしれません。

とは言え、「話題は何でもいい。」と言う前提があるので、そんなことは事前にねじ伏せておきましょう。両親の死を事前に乗り越えておきましょう。○○から来る心的な影響を事前に乗り越えておきましょう。

そうでないと不敬です。


不敬。信頼に足る相手。

○○から来る心的な影響を乗り越えると書きましたが、それはたやすいことではないでしょう。しかし、たやすくないからと言って、乗り越えることが不可能と言うことではないはずですし、乗り越えたからと言ってそれが偉業であるとかそう言ったことでもありませんし、乗り越えることが出来るのは選ばれた人間だけだ。とかそんなこともありません。普通の平凡な人物による達成の難易度としても、中くらい程度ではないだろうか。

また、普通以下、平凡以下、達成難易度中くらいすら達成できない人物は信頼に足るでしょうか?

仮に、条件がそれだけしかないならば、普通以上、平凡以上、達成難易度中くらいは達成済みである人物に対しての方が信頼度は高いと思います。そのことについて反論の余地はないでしょう。


相手に対して、○○から来る心的な影響について気を遣って会話をすることは、すなわち「アナタは普通以下、平凡以下、達成難易度中くらいすら達成できない、信頼に足らぬ人物である」と言うニュアンスを排除することが出来ていない。むしろ不信を突き付けているようなものです。

このタイプの気遣いが社会マナーであるかのように存在しているような気がしても、無視しましょう。

相手への敬意、信頼の心を示すためにこの手の気遣いは無用です。

この手の気遣いは、相手を○○すら克服できない凡夫と言い続けているようなものです。失礼です。


まとめると。

  1. 話題は何でもいい。

  2. 話題の背景にある情緒を主題にするな。ロジックが主題なら万国共通でひとまず話題にはなる。

  3. 相手への敬意、信頼の心を示すためにも気遣いは無用。

まとめると「話題を問わず、その話題を出発点に気遣い無用で何らかのロジックを描き、相手へ敬意と信頼の心を示そう!」と言うことになりますが、こう言ったことをしているとどんどん友人を失います。

・・・なんで?


と言うことについて考えてみたのですが、ようするに適切な話題すら上手く選択できず、ロジックよりも情緒を優先する一般的に好まれる人間像を示そうすることも出来ず、気遣いも示せない、社会マナー(?)欠如のもしかすると危険人物??と認定されるからですね(笑)

しかしながら、冒頭から頻出の「敬意」と言うワードを重視すると、理屈としては上記のようになるのだと思いますし、社会マナーって誰が決めたんだよwwエビデンスは?ソースは?と問えば答えられる人もいないんじゃないだろうかなとも思いますから、するとおよそ雰囲気、空気ですね。

「雰囲気、空気」と、「敬意」

皆さんはどちらが重視されるべきだと思いますか?


良かったらTwitter、Facebook、コメント欄などで教えてくださいね。



今回以上です!

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