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続ける理由

もし忙しいからというだけで走ることをやめたら間違いなく一生走れなくなる。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけ。暇を見つけてはせっせと隈なく磨き続けること。
出典:走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹 

村上春樹さんのエッセイを読む中で僕の中で響いた文言がいつもいくつかあるのだが、そのひとつを今回はアウトプットしようと思う。

継続してきたことをやめようとしたときに言い訳を作ろうと思えばいくらでも作れるということ、そしてそれは大型トラックいっぱいほどあるのだという例えは想像しやすかった。それを想像すると人間は愚かな生き物であることを実感した。高校時代、愚かな行動をとる人がいると恩師から愚の骨頂だと練習日誌に書かれていたことを思い出した。(愚の骨頂とは要するにこの上なく愚かなこと。笑)
とにかく継続していたことをやめることはシンプルな表現でハッキリと物申すと“愚かなこと"なのだと思う。ただ誰もがそういった天秤にかけられる状況で継続することを選ぶことができる人間はなかなか少ないというのも事実である。そういった状況においてやめず継続できるのはなぜなのか。逆の視点で考えたときに、走ることを続けることよりも走ることをやめたときの自分を受け入れることができないという部分は大きいのではないのかと思った。何かひとつ、そこで自分の軸を崩してしまえば、自分の習慣が崩れるかもしれないという不安、そして継続していたことをやめようとしたことによって自分を信じる力が薄まる可能性が出てくるそういった不安。さまざまな不安と闘う。そういったことを考えているとやめないことの方が良い選択なのではないのか、そこまで考え自分の心を知ることで迷わずに行動へとうつせるのではないのか、そして意味のある行動へとつながるのではないのかと思った。ただ、時には継続してきたことをやめる選択が必要な時がある。そういった状況にも対応できる心は持ち合わせておかないといけないなと思ったりもする。とにかく言えることは何事も続けることが今の自分にとって必要なことであるということ。
小説家という職業、またその他プロフェッショナルとよばれるような職業を背負う人間が日々成長していくためには、追求するべきこと、こだわるべきことがあると思う。それが何なのかは人それぞれであるし、自分で見つける必要があるが、この過程こそが間違いなく面白いことははっきりとしている。明日から社会人3年目・実業団3年目を迎える者としてひとつ本から得た小さな気づきをアウトプットできたこと、そしてこのような気づきを社会人3年目に突入しても積み重ねたい。これからもそしていつまでも "続ける理由" を見つけていけたら。

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