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最期。

誰かのために動き、その誰かが幸せになったのを見届けてから誰にも看取られずに一人ひっそりと死にたい。例えるならブレードランナー2049のKのような、ジェットマン最終回における結城凱のような、ペストのタルーのような、そんな死に方をしたい。

自分がみんなと一緒に幸せになれると思えない。盛り上がりの輪の中に入れるとは思えない。昔からどこか、自分は別、という感覚がある。みんなはするべきことをした結果幸せになっているのであって、為すべきを為していない自分がみんなと一緒になって楽しんではいけない。給食食べ終わらなきゃ遊びに行けないのと同じ。自分はまだ食べ終えられていないのだ。だから自分はもっと一生懸命働いて、ちゃんと死を迎えられる身体と魂になっていなくてはいけない。今は程遠い。

身近な友達が幸せを掴んでいく度にそう思う。置いていかれた感じがするからかな。置いていかれるくらいなら、忘れ去られるくらいなら、死にたい。消え去りたい。その人の幸せの土台の一部になれてるならそれでいい。自分などが幸せを望んではいけない。散々人に迷惑をかけ、傷つけ、嫌な思いをさせながら好き勝手に生きてきた。そんな自分が人並みの幸せを手に入れられるとは到底思えない。まただ。またいつもの罪悪感だ。他の誰もそんな風に自分のこと見てないのにね。自意識過剰なんだよ。もっと軽く、楽しく考えればいいのに。そう考えられたらどんなに楽だろう。人の幸せを妬まず、喜べる人でありたかった。みんなの食卓でありたかった。松屋。松屋のゴロゴロチキンカレー、あれほんと美味しい。食べごたえのある鶏肉に、辛すぎずコクのあるルー。たっぷりの玉ねぎ。お腹すいた。


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